【前回の記事を読む】この上なくありがたく、この上なく惨むごいいのちである「生理的いのち」の働き

 人間のいのち

3 生物学的いのち

口絵(第2回記事 図表1 参照)に見るように、今から6700万年前には、わたしたちの祖先はほ乳類にまで進化していたと言われています。大脳辺縁系の脳(ほ乳類脳)が芽生え、食することや睡眠をとることといった生命維持のための営みや、子孫継承のための営みなどを、自分自身の意思で遂行できるようになっていたのです。

いわゆる本能的・情動的行動の芽生えです。もちろんこれらは、先述の生理的いのちの支えがあればこその能力です。つまり、脳幹・脊髄系の脳と大脳辺縁系の脳の共同作業で、生命維持や子孫継承のためのいのちの営みを意図的に遂行することが可能になってきたということです。

わたしたちの祖先(ほ乳類)が獲得した脳幹・脊髄系の脳や大脳辺縁系の脳には、生物として生きてゆくための設計図が先天的に組み込まれていたので、わたしたちの祖先であるほ乳類は、生まれてのちに特に学習しなくても、授かった設計図通りに、生かされるままに生きていきさえすれば、生命維持や子孫継承のための営みができたのです。

彼らは、ほとんど間違いなく正確に生きていけるけれども、自分自身で工夫して新しい行動を生み出していくことは苦手だったのです。脳幹・脊髄系の脳と大脳辺縁系の脳だけで生きている野の生きものたちの暮らし向きが、いつまでもどこまでも進化が見られないのはそのためです。

最近、キジバトの巣作りに出会いました。私の家の庭に高さ10メートルほどのイヌマキの木があります。大き過ぎて剪定が行き届かず伸び放題になっているイヌマキの茂みにキジバトが巣作りを始めたのです。細い枯れ枝をくわえたキジバトが車庫の屋根に止まって、しばらく辺りを見回してからイヌマキの木に飛び移り、再び辺りをきょろきょろ見回してから木の枝をくわえたまま茂みの中に潜っていきました。

しばらくして、茂みから出てきたキジバトはもう木の枝をくわえていません。キジバトは、茂みの外側の枝で、またもや辺りをきょろきょろ見回してから飛び去っていきました。外敵に気づかれないように、用心深くイヌマキの茂みに巣作りの材料を運び込んでいるのです。

しばらくしてキジバトは、今度は少し長めの枝をくわえてきました。ところが、くわえた枯れ枝が長すぎてどうしても茂みに運び込むことができません。長めの枝でも、枝の端っこをくわえて引きずり込めばうまくいったかもしれないのに、木の枝の真ん中辺りをくわえたまま茂みに潜り込もうとするからどうしてもうまくいきません。とうとうあきらめて木の枝を樹上に残して飛び去っていきました。

しばらくして、また小枝をくわえてやってきました。作業は順調に進められていたようでしたが、またもや長めの枝をくわえてきて先ほどと同じように四苦八苦しているのです。

やっぱり今度もその長めの枝を置き去りにして飛び去って行きました。

これは、先天的に授かった脳の設計図通りに正確に行動することはできるけれども、ちょっとした臨機応変の工夫ができないし、失敗経験を次に生かすことがなかなかできないということのようです。これが、脳幹・脊髄系の脳や大脳辺縁系の脳だけで生きている野の生きものたちのいのちの営みなのです。

6700万年前までのわたしたちの祖先は、ほぼこのような生き方をしていたものと考えられます。