2.伊勢の地主神=猿田彦神

まず伊勢の猿田彦であるが、『猿田彦神社誌』(猿田彦神社社務所編/国書刊行会・平成10年)を参考にして、同神への理解を深めることにする。が、地名・人名とユダヤとの関連については、このあとも筆者の独断に係る部分が多い。しかしその根拠や理由などをあげて、ユダヤ系の人々が渡来してきたことを想定しつつ、論を進めていく。

兎にも角にも伊勢神宮内宮に、「ダビデの星」や「虎塚古墳型神影」が隠されていることは、誰の目にも疑いようのない事実であるから、今後の議論は、この岩盤の上に立ってするべきである。

同神社誌は、はじめに神名の読み方を「サルタビコ」と確定している。そして神名の意味を、「猿によって守られている田」と解している。古代人は山で猿に遭い、その〈異形〉性故に神性を感じ、「鹿()猪田(しだ)」(鹿や猪によって荒らされる悪い田:筆者注)に対して「猿によって守られている田」というイメージを「猿田」に移行させた時、「良い田」の観念を生じ、その「猿田」を神格化して「猿田ビコ」と呼ぶようになったのではなかろうか。

また「猿田ビコ」と呼ぶ前段階として、「久延毘(くえび)()」の例を持ち出している。古事記上巻には「山田」の「久延毘(くえび)()」が番人であって、これは別称「山田の曽富騰(そほど)」といい、「此の神は、足は行かねど、(ことごと)天下の事を知れる神ぞ」とある。「久延毘古」とは「身体の崩れた人で、一本足の案山子(かがし)」をいう。(『猿田彦神社誌』)

同書では、「曽富騰」を「雨に濡れそぼつ人」としているが、筆者の意見は少し異なる。天下の出来事を全て知る神=全能神である。「山田の曽富騰(そほど)」の音の変化は次のように解読できる。

YUTU・HUTUが転訛→MUTU山田→YAMADA→YAMADO→YAMATO=ヤマト(神ヤハウェの国)

曽→ソ→新羅の国名

富騰→ホド→HODO=HOTO=ユダヤ

つまり「山田の曽富騰」は、新羅経由で渡来したユダヤ人と解釈できる。案山子に擬せられたのはヤハウェ、すなわち「田を守る良い神」なのである。サルタビコもクエビコも、良い田の神さまとしての神格を持っている。春秋・戦国の争乱を避けて、長江沿岸から北上してきた農耕・弥生人の神であった。

しかし渡来してきた弥生人はまた、海の民=漁労の民でもあった。ユダヤ系猿田彦神は海神、漁労神の要素を持っていなくてはならない。『古事記』は、同神のその貴重な記録をいまに伝えている。