これで衆議院東京ブロックには二名の小選挙区立候補者を擁立して衆議院小選挙区比例代表制選挙に臨むことになった。

武藤は山脇にも可能な限り面接試験に立ち合って貰いながら、小選挙区候補者の擁立を諦めた四国ブロック除く残りの一〇ブロックの小選挙区に一名~複数名の候補者を擁立し、小選挙区比例代表制という、小選挙区候補者の「命懸けで戦っています!」等と街宣活動しておきながら、比例区へ重複立候補することで「ゾンビ議員」と、揶揄されても復活当選できる姑息な保険にも似た安全装置を木っ端微塵にすべく行動に打って出るのであった。

小選挙区での人選を終えた武藤は、早速比例代表候補者の選抜に取り掛かった。

主な立候補者選定の手順は、一般教養試験(高校卒業程度認定試験程度の国語、理科、社会、数学、英語の五科目)、大卒者に対しては、学位論文ないしゼミ論文の提出を求め、それを国家戦略企画研究所のメンバーが審査するとしていた。

小論文試験は、こんな出題がなされた。

一、消費税における逆累進性の対応策を一、二〇〇字程度で述べよ、

二、少子化の対応策を一、二〇〇字程度にまとめよ、

三、憲法改正について二、〇〇〇字以内で論ぜよ、

というようなテーマでその論文をやはり国家戦略企画研究所のメンバーが審査するとしていた。そして最後にツートップの武藤と山脇による口頭試問という難関を経て比例代表候補者として立候補できるのである。

そしてその候補者としてターゲットとしたのが五〇歳以下の政治塾受講者や市会議員、県会議員、道議会議員、都議会議員、府議会議員達であった。

武藤の周辺は、試験のレベルが高い事やハードルが高すぎて、この審査基準では立候補者が集まらないのではと危惧していたが、ネット上では市会議員は県会議員へのステップアップ、スキルアップになるとして、評判となり、県会議員は与野党の公募候補者として採用される可能性が高まるとの噂が広まり、驚くほどの応募者が集まり結果として、各選挙区ブロックの募集人員の一〇倍を超える応募者があり優秀な人材を確保する事ができた。

その結果、辞退者を見込んで一二〇人の合格者を輩出したのだが新党発足式当日まで辞退者が現れなかった為、小選挙区立候補者一七名と合わせて一三七人が武藤の立ち上げた政党から衆議院小選挙区比例代表制選挙に打って出ることとなった。

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