パーキンソン病であった郁子の父は十年間の闘病生活で、その進行を止められる薬を見つけることができなかった。その父が最期に心不全で息を引き取ったのは、郁子が十九歳の時のことだった。当時一人きりでその瞬間を看取った郁子は、既に死後硬直の始まっている父に寄り添うようにして、仮死状態で見つかった。

父の病気が発覚した当時、まだ九歳だった郁子に、父は自らの面倒を見るという傍から見ればその手には余るほどの役割を与えた。

世間一般の父親ほどには、長生きできないだろうと思ってのことだった。

『この子が一人でも生きていかれるよう、何かを教えてやらなければならない』

そう思う父の行動は、傍から見れば少し奇妙に映ったかもしれない。

父は自分の介護のためにという名目で、ハウスキープや料理研究、家計管理の第一人者とでも呼べそうな人物を雇っては、郁子の教育に当たらせた。

一般的な女性が幸せになるために必要なものをと、父は考えたに違いない。しかし、それはファイナンシャルプランニングの領域にも及び、郁子はその学習の成果として、大の大人ですら手こずる資格をいくつか取得していた。

父が雇ったそのプロたちからは、この歳頃の子どもにそこまで要求するのは酷だという声も上がっていた。ところがそれを止めようともしない父と、驚くほど素直についてくる郁子の姿に、やがてプロたちは感服するしかなかった。だからこそ、まだ年端も行かない郁子へのプロたちの教育は、時に自分の弟子に秘伝の技でも教えるかのように真剣で厳かですらあった。

人の気持ちに聡い郁子のことだ。恐らく父の気持ちを感じ取ってこその、それに応える形での十年間だったのかもしれない。きっとこれほどまでの絆で結ばれた父との別れによって、郁子の心には春彦ですら触れることのできない心の闇が形作られてしまったのだろう。

春彦と結婚し社宅暮らしだった頃、三十代が中心の奥様たちの中にあって、まだ二十三歳と誰よりも年若かった郁子の何もかもが、その誰よりも巧みだったのも頷けるというものだった。それらの全ては自分亡き後、郁子の幸せのために父邦夫が郁子に託した、とても切ない思いの結晶だった。

この話を義母から聞いたときに、その上に安直に胡坐をかいていやしなかったか、と春彦はいたたまれない気持ちになった。

普段ニコニコと楽しそうに家事をする郁子。仕事から帰ると甘えて玄関まで小走りにやってきては、全身で春彦の帰りを喜んでくれる郁子。素直で可愛いばかりの妻が抱えた過去をどうしても自分のものにできないことに、春彦はもどかしさと寂しさを感じていた。この話を聞いてからというもの、春彦は義父からのバトンを受継ぐべく、郁子を確かに守り抜く誓いを立てたのだった。

この時の誓いがまだ健在ならば、これほど重要な局面はなかった。

おびただしい量の出血も、異変を聞きつけて駆け付けたであろう誰かのことも、春彦にとっては些細なことでしかなかった。

一人の男として、触れることすらできなかったこの二年間。そして悪夢とも思えるこの三日間。迷い込んでいる世界から郁子を救い出せるとしたら、それは恐らく今しかなかった。少しの変化も見逃すまいと、全身で郁子の様子を探る春彦の胸にはそんな思いがあった。

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