② 進化の課題

これは世界中のどの国にも当てはまることかもしれませんが、図1に見るレベルⒸの知識技術的・適応的資質を身につけることについてはかなりの努力が見られるものの、レベルⒹの人格的・創造的素養を身につけることへの努力が疎かになっているような気がしてならないのです。図1に見るように、レベルⒹの「よく生きてゆく」という人格的・創造的領域が未開墾の状態にあるということです。大自然から託された精神的いのちの進化が、途中で頓挫している状態にあるような気がしてならないのです。

[図1]人間のいのち

ひょっとしたら、このような人間作りの形態が昨今の物質至上主義の社会体制に都合がよいという解釈がどこかに秘められているのかもしれません。だとすれば、これこそわたしたち人類が今、早急に改革していかなければならない最重要課題だと考えられます。

大自然の申し子「人間」が授かった後天的素養としての精神的いのちの最も大切な部分が、未開墾の状態に据え置かれているということは何とも忍びがたいことです。精神性“spirituality”の伴わない知識技術の進化や物質的な豊かさは、人類を暗黒の世界に誘う元凶になりかねないのですから。

私は中学生時代、ユネスコ“UNESCO”の勉強を始めたときに非常に興奮したことを覚えています。“United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization”と丸暗記して、これこそが人類社会の未来を担う国際的な教育機関だと信じて得意になっていたのです。

ところが年を重ねたあるとき、改めてユネスコの意味を確認してがっかりしたのです。ユネスコとは、「国際連合の経済社会理事会の下に置かれた、教育・科学・文化の発展と推進を目的にした専門機関である」という表記に出くわして、ユネスコとは経済発展の手段としての組織だったのかと初めて気づいたのです。

人間教育の営みは、このような手近な欲求充足のための手段であってはならないというのが私の考え方です。人間教育が、単に経済発展を目当てに企てられていくことになれば、前述のレベルⒸの知識技術的・適応的資質の向上が教育の主目的になってしまいます。

人間教育の最終目的は、あくまでもレベルⒹの人格的・創造的素養を身につけさせることでなければならないのです。レベルⒸの知識技術的・適応的資質の向上は、レベルⒹの人格的・創造的世界に上り詰めていくための足がかりであると捉えなければならないのです。

その意味で、日本の教育基本法第一条に見る、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」は、最も素晴らしい人間形成の理念なのではないでしょうか。これこそが、大自然が密かに人類自身の力量に委ねてくれた「合目的的進化」の指針なのです。