朝比奈さんは特にベートーヴェンをこよなく愛し、交響曲集を何回となく世に出し、第九交響曲など実に二五〇回の演奏を越え、その都度、何か新しいものを感じたという。

ベートーヴェンの交響曲には、汲めども汲み尽くせない永遠の音の泉が潜んでいるに違いない。目標とされていた英国生まれで米国の指揮者、故レオポルド・ストコフスキーと同じ九十五歳までの活躍はならなかったが、死の直前まで現役を貫き通したことでは、さぞ満足されていたことであろう。

親父といつもオーバーラップしていた、朝比奈さんのあの独特の語り口調がもう聞けなくなったかと思うと、無性に寂しい。

私の読書遍歴

いつの頃からかはっきりしないが、兄貴に執こく言われて本を読む習慣がついた。勿論、今でも時間があれば本を読むが、一日が終わって寝床に入ってから読む本は、また格別な楽しみがある。

よく時間がなくて本が読めないという人がいるが、これは間違っている。何とかして、読む時間を作るのが正しいのである。

人間が一生かかって読む本の数などたかが知れている。にも拘らず昨今は小さな本屋でも、そこで売られている本の数は厖大である。それでも毎月無数の新しい本が世に出ている。出版社や本屋は、本が売れなければ商売が成り立たない筈だが、この不況の中、書籍関連の会社の倒産は余り聞かない。若者の読書離れはどうなのだろう。

ベストセラーが各社毎に、うまく行き渡っているからだろうか。経営は決して楽ではない筈である。

一般によく読書法などと言われるが、これは、音楽にその聴き方がないのと同じように、決まった方法があるわけではない。

小林秀雄は嘗て世界中で、読書の達人と言えばサント・ブーヴ(一八〇四~六九年、フランスの詩人、文学評論家)であろうと言っていた。しかし、氏自身も日本での読書の達人は、自分ではなかろうかと自負していたに違いない。氏は、一冊の本を読み終えたら直ぐまた新しい本を読むのもいいが、一度に何冊もの本を場所と時間を変えて、同時に読むのも良い方法で、自分はその方法を実行してきたと言っている。

何しろ本の字が、横に曲がるほど読んだというから相当なものである。更に、一人の作家のものを、その作品から書簡に至るまで、徹底して読むことも奨めている。

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