秋高生だもん 石原(いしはら) 椿(つばき)

昭和二十九(一九五四)年五月一日、旧秋和しゅうわ町と旧灰倉村が合併して秋倉市となった。市制施行の際に合併する町村の一字ずつをとって新しい地名をつくる合成地名は町村合併促進法(昭和二十八年)によって誕生した全国の市町村に多く見られる。

昭和三十六(一九六一)年八月二十日、秋倉市立()奈川(ながわ)小学校の教師が全長一六メートルの鯨の化石を発見し、アキクラクジラと命名された。市内の小学生は鯨の化石を見学して、大昔、秋倉市は太平洋の海の底だったことを学習する。

昭和一桁までは江戸時代とさほど変わらない農村地帯だったが、その後、急速に大規模な軍需工場地帯となった。太平洋戦争のあと、軍需工場跡地や飛行場跡地は、秋倉公園、秋倉記念公園といった広大な憩いの場に姿を変え、通常の都市開発とは一味違った景観となっている。

市の東寄りにある都立秋倉高校は、秋倉小学校、秋倉中学校、秋倉公園、秋倉記念公園に東西南北を囲まれている。口さがない人から“秋倉牧場”と揶揄される自由な校風が特徴の中堅進学校で、ブレザーの標準服はあるが制服はなく、私服通学の生徒も多い。

運動部の活動が盛んで、最近では陸上部がトラックとフィールドの両方でインターハイに、ソフトテニス部は関東大会、野球部は西東京大会の準決勝まで進んでいる。中でも少林寺拳法部は去年の全国大会で「女子規定組演武の部」の二位に輝き、秋倉高校の歴史に新しい一ページを刻んだ。

文科系の部活では、かつて生徒会選挙は落語研究会の発表の場だったという伝説もあるが真偽のほどは確かではない。以上、秋倉市と秋倉高校について、あたし、がんばって調べた。

JR(うめ)()()(せん)東秋倉駅から線路沿いの路地を真っ直ぐ歩いて五分。文化祭で二回、高校説明会、受験当日、不合格だった合格発表、補欠合格での入学手続き、標準服の採寸で一回ずつ通った、すでに通い慣れた感のある、どうってことないただの路地。でも、今日の気分はレッドカーペット。だって、これから待ちに待った入学式なんだもん。あたし、秋高生になったんだもん。

去年のGW(ゴールデンウィーク)、東京都高等学校少林寺拳法選手権大会に出場する従妹の応援で都下の工業高校に行った。我が石原家は一族郎党スポーツ万能なの。あ、朗党はいないか。

と、とにかく、二つ上の従姉は水泳が得意で、中学のときにはリレーを含めた三種目で全国大会に出場してるツワモノなの。この日も当然、一位だと思っていたら秋倉高校の(こま)()白鳥(しらとり)組に全く歯が立たなかった。そりゃあたまげたわよ。