「おはよう。調子はどうや?」

「先生、今度来たらお薬、減らしてくれるって約束してたしぃ」

無邪気な明るい声に梅澤も引き込まれた。患者は、病状が安定こそしているが、全身性エリテマトーデス(注)である。若い女性に多く発症し、全身全ての臓器に影響が出て、進行すれば腎不全や呼吸不全に至ることもある。

治療には、ステロイド剤や免疫抑制剤が使われる。ステロイド剤は、効果も大きい反面、肥満や骨粗鬆症や、特に若い女性が嫌うムーンフェイス(満月顔貌)などの副作用が現れるために投与量の慎重な調節が要求される。

「そんなこと、約束してたかなぁ~。ほんならジャンケンしよか? あなたが勝ったらちょっと減らしてあげるわな」

「わかった! 一回勝負ね!」

「よ~し! ジャンケンポン!」

「やったーーーーー! 勝った! 勝った! 減らしてや!」

患者が大喜びする声が診察室から待合にまで響いた。

「う~~ん。しゃあないなぁ1ミリ減らしてあげるわ!」

無論、梅澤は事前に患者の血液検査の値や全身の状況などを診て、初めから1ミリ減量するつもりだった。医学的根拠なしにこのようなジャンケンなどするはずもない。

「今度、いつ来たらいい?」

「2カ月後かな。気をつけて生活しろよ。じゃあねぇ~」

梅澤は、次回の受診予約と予定検査を電子カルテに入力し、処方箋を患者に渡して送り出した。

間を置かずに、次の患者を呼び入れた。

「少し関節リウマチの活動性が悪くなっていますよ。このままでは数年後に、必ず関節が溶けて指が曲がってしまいます」

「でもこれは抗癌剤でしょう? 私は癌患者でもないのに、こんな薬を飲むのは嫌です」

どうしても治療方針を納得して貰えない患者もいる。そんな時、梅澤の表情が曇る。

「癌の患者さんは、この薬を毎日、何錠も飲みます。でも、あなたは、1週間に一度だけ、たった3錠飲むだけです。それで、あなたのリウマチの進行は随分と防げるし、一生、自分の指でお箸を持ってご飯を食べられて、歩くことも可能になるのです」

「それでも私はこの薬ではなく、今までの古い薬で治療したい。癌の薬は飲みたくないんです」

この問答も、そろそろ3年がたつ。いったい何度この問答を繰り返せば、この患者は分かってくれるのだろう? どうしたらこの患者を助ける事が出来るのだろう? どう説明すればこの患者は納得してくれるのだろう? 梅澤の表情が苦しげにゆがむ。

(注) 全身性エリテマトーデス(SLE)
膠原病の一種で、SLEとも呼ばれる。蝶々が羽根を広げたような紅斑(蝶型紅斑)が顔面に現れるのが特徴である。腎臓、肺、神経血管、など全身の臓器に病気が起り、非常に多彩な症状を呈する。特徴的な自己抗体に抗2本鎖DNA抗体と抗Sm抗体がある。

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