お焼香の人が来なくなって、千恵姉ちゃんが肩に手を置いて「さあもういいわよ」と言うから立ち上がると、周りの大人たちは上の階にぞろぞろ上がっていくところだった。「おなかすいたでしょう?」と千恵姉ちゃんが訊くと、由美は機嫌が直ったようにはっきり「うん」とうなずいて、お姉ちゃんの腕を抱えた。千恵姉ちゃんはもう片方の手で僕の肩に手を回して引き寄せながら祭壇の前に連れていった。

お棺に寝ているお父さんとお母さんは頭に包帯を巻かれ、鼻に脱脂綿を詰められ、顔色も見たことのない色をしていて、何度見ても違う人みたいだった。でも、祭壇の写真は優しいときのお母さんとお父さんのままだった。

お父さんは桃狩りに行く前の晩、遅くまで仕事をしてから帰ってきて、「明日はうまい桃を腹いっぱい食うぞー」と大声を出して由美を喜ばせた。僕たちが起きたときには、車から道具や電気コードを入れた箱を降ろし、シートを起こして雑巾で拭いていた。いつも二列だけど、三列目のシートを起こしたのを初めて見た。

家を出発して、お祖父ちゃんのお店に寄っておばあちゃんに二列目の座席に座ってもらった。お祖父ちゃんは「桃狩りよりも食う方がいいな」って一緒に乗らなかった。おばあちゃんが僕の家族と一緒に出かけるのは初めてだったけど、僕も由美も何度もお祖父ちゃんのお店で会っていた。

おばあちゃんはお祖父ちゃんと居酒屋さんをやっているから、旅行なんかほとんど行ったことがない。桃狩りも初めてだし、「ドライブなんて何十年も行ったことがない」って言ってた。車の中ではみんながよくしゃべった。お父さんの隣に座ったお母さんもよく笑った。

千恵姉ちゃんは、写真を見たり棺の窓からお父さんとお母さんの顔を見たりしている僕の後ろから両肩に手を乗せて、そっと向きを変えさせて歩き始めた。千恵姉ちゃんの両手がクーラーの利いた部屋で肩に温かかった。

二階ではたくさんの黒い服を着た大人たちが飲んだり食べたりしていた。知らないおじさんたちと大きな声で話しながらビールを注いでいるお祖父ちゃん。ビール瓶を持ってきょろきょろしている昭二兄ちゃん。僕たちと血のつながりのある人は二人しかいない。

昭二兄ちゃんの奥さんの千恵姉ちゃんは山梨の病院からもずっと、僕たちのそばにいてくれて、長くてきれいな指をした手のひらを優しく何度も背中や肩に当ててくれた。