第一章 阿梅という少女

「父上からきついお叱りを受けたが……」

重綱さまはしょげた様子で、でもな、と言った。

「大坂落城の前日は、後藤又兵衛(ごとうまたべえ)どのや薄田隼人(すすきだはやと)どのとの戦があってな、真田左衛門佐幸村どのは敵ながら儂わしの戦働きを良しとしてくだされたのだ……」父親の見る目だけがすべてではない、と言いたげに小鼻を膨らませた。

「夜遅くな、左衛門佐どのの使いの者が、書状を持って我が陣に駆け込んで来た。今夜のうちに娘を送るので保護してやって欲しい、というものだった」

なんと、阿梅を保護するよう、真田左衛門佐どのから頼まれたのだという。落ち鮎を偶然に網に受けたのではなかったのだ。

伊達陸奥守政宗(だてむつのかみまさむね)さまに急ぎ裁可を仰いだところ、当然のようにうなずかれて、片倉で養育するようにと仰せられたという。

落城前夜の大坂城は、大勢の武将たち、その妻や子たちやおつきの者もいて、さぞ騒然としていたことであろう。

左衛門佐どのは阿梅の母である正室の大谷どのや、他のお子たちにはそれぞれ家士をつけて、各地に落ちのびさせていたというのである。

最後まで城に残ったのが、左衛門佐どのと長男大助(だいすけ)、そして阿梅の三人だったという。

翌決戦の日に城は落ちる。左衛門佐どのにはそれが見えたのであろう。明日はおのれと大助の命日となる。せめて娘の阿梅だけは助けたいと思われての、前夜の書状だったのであろう、と重綱さまは話された。

落城前に三人の士と共に城を出た正室と娘の一人は、逃げのびた先の紀州で、浅野但馬守(あさのたじまのかみ)の手の者に捕らわれた。京においでの公方さまに送られたが、正室は左衛門佐どのが秀頼さまから賜わった来国俊(らいくにとし)の脇差と、金五十七枚を持っておられたそうである。釈放されて京に留まっているという。

妹の阿菖蒲(おしょうぶ)も落ちのびる途中、伊達陸奥守さまの配下に救われ、おっつけ白石に辿り着くとのことだ。

伊達陸奥守さまは底知れぬお方よ。我が親父どのもそうだが……。わしはまだひよっこよ、と急に重綱さまの鼻息が細くなった。

「戦ぶりから見ると、陸奥守さまは囲碁型よのう。左衛門佐どのは将棋型だった。公方さまのお首一つを狙ってまっしぐらに襲いかかってきた姿は、終生忘れられぬわ。まさに、日の本一のつわものだった……」

戦う姿にはその男の生きざまや気質までもが表れるものなのだろう。

「左衛門佐どのは公方さまから我が大名になれと、あの手この手で誘われても、芯の揺るがぬ武将だった。奇妙に聞こえようが、西軍は名のある武将が多すぎたのだ。それぞれが勝手におのれの戦をして西軍としてのまとまりに欠けた。あのお方を大将にして、その采配どおりに心を一つにして戦っていたならば、東軍は危うかったかも知れぬなあ。そんな左衛門佐どのからわしは見込まれたのだぞ」

「さぞかし惚れ惚れするような戦ぶりだったのでございましょうなあ。できることならわたくしも見とうございました」

重綱さまの頬が紅潮して、小鼻がふくらんだようであった。わたくしはそんな重綱さまが愛おしい。誇りでもある。重綱さまの手柄話なら、日がな一日聞いていても飽きない。

女子(おなご)とは言え、敵方の、しかも左衛門佐どののお子たちを匿うのは、用心しなければなりませぬな」

ご公儀に伝われば、伊達家の存亡にもかかわるのではないだろうか。

「いや、公儀には報告してある。片倉勢の陣屋に保護を求めて、落人が次々と飛び込んできた。その中に、偶然にも左衛門佐どのの娘がいた、と。女子の命までとることはない。ここまでは安心だ……、だがな……」

重綱さまは声をひそめられた。左衛門佐どのの男子を一人匿う、と言った。

「えっ……。男子を……? 秀頼さまと(よど)どのを守って、最後は炎の中で自刃なさった、と聞き及んでおりますが、他にもご子息がいらしたのですか?」

まだ四歳の男子で、名を大八(だいはち)と言うそうだ。左衛門佐どのの遺命を受けて、西村孫之進(にしむらまごのしん)吾妻佐渡(あがつまさど)の二人の家臣が傅役(もりやく)として付き従っているという。

「大坂残党狩りも、収束のお布令が出たことは出たが……」

「それでは……」

思わず身を乗り出したわたくしを、重綱さまが押しとどめた。

「甘くはないぞ。武家諸法度(ぶけしょはっと)がある。落人狩りから大名狩りに変わっただけじゃ」

匿った大名家の責任が問われるのだ。わたくしは同じ年恰好の娘の喜佐を思って、胸がふるえた。

「だがのう、あのどさくさの最中でも、どこまでが助命されて、どこからが斬刑になるのかが、今一つ釈然とせぬのよ。伊達さまは長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)の重臣、佐竹蔵人親直(さたけくろうどちかなお)の妻子を捕らえて公儀に差し出している。その子供は六歳の男子だった。後に許しが出て、母御と男子は伊達さまに預けられ、仙台におもむいているのだ」

「どこの大名家に捕まるかで、運が分かれることもあるのでしょうか」

「戦が終わってこうしていると、名のある父御の息子に生まれたばかりに、年端もいかぬ子らが市中を引き回され、首刎ねられたは不憫でならぬよ」

秀頼さまのたった一人の幼い男子は斬刑になったが、娘だけは一命を助けられたと聞いた。おさなごの首を刎ねるお役目も辛いことだろう。見る方も聞く方も辛い。首を刎ねるべきか助命すべきか、ゆらゆらと動く微妙な線が引かれているのだろう。

戦場では阿修羅のような働きぶりで、鬼の小十郎と異名をとった重綱さまは、今、のどかな蔵王連峰の麓の盆地で、穏やかな暮らしに慣れようとなさっている。

【前回の記事を読む】雑兵と見えた少年は少女で、しかも、敵将の娘...? これは一体...