第1章 フィリピンの特別永住権を取得するに至るまでの軌跡

韓流ブーム沸騰寸前、すっかりハマった韓国

このように仕事ではニュージーランドをメインにアメリカやシンガポールに行かせてもらいましたが、プライベートで初めて行った国は韓国で、最初に行ったのは2003年8月でした。当時、小泉首相が総理大臣に就任してから度々靖国神社に参拝して、韓国や中国から猛烈に抗議されていました。そのため、知り合いからは「韓国に行くんだって? 治安は大丈夫なの? デモに巻き込まれないように気を付けてね」と心配されたものです。

余談になりますが、友人の心配は取り越し苦労で、8月15日に行われていたデモで最大規模のものは日本に対するデモではなく、アメリカに対するデモでした。韓国ではソウルの中心に米軍基地があり、一般の市民は反米感情が意外と強いのです。

日本でも、『冬のソナタ』をきっかけに韓流ブームが巻き起こり、『天国の階段』、『美しき日々』、『宮廷女官チャングムの誓い』など、日本列島を熱狂の渦に巻き込んでいくわけですが、当時はまだ韓流ブームが始まる前でした。面白かったのが、食堂での店員さんの態度です。ホテルなどのレストランはたいてい英語が通じるのですが、地元の人が行く食堂では英語が通じないため、韓国語でコミュニケーションをとるしかありません。

ある食堂に行った時に下手な韓国語で一生懸命注文しようとしたのですが、何度呼びかけてもなかなかオーダーを取りに来ないのです。「そうか、私の韓国語があまりに下手なので通じないんだな」と思いましたが、今考えてみるとどうもそうではなかったようです。当時、韓国国内で韓流ドラマが全盛期でその店員さんはドラマに夢中で私の注文が耳に入らなかったのだと思います。

なぜだか分かりませんが、私は一度訪れただけですっかり韓国にハマってしまいました。韓国の風土、食べ物、文化、特に食べ物が好きです。また、韓国人はとてもウェットな人付き合いをします。日本人からするとうっとうしく、おせっかいだと思う反面、一度きちんと人間関係ができると長い付き合いができる人たちが多いです。

韓国と日本はこれまでの歴史的な経緯からさまざまな問題があり、単純でない部分も存在します。しかしながら、私にとってはとても肌に合う国であり、行く度にモチベーションを得られる国なのです。今後も韓国との関わり合いがなくなることはないと考えています。

2014年4月、私は長年勤めた第二海援隊を退社して、「myコンサルティング」という会社の代表を務めることになりました。myコンサルティングは2011年に私の家内が設立した会社ですが、私が独立したのをきっかけに、自分のやりたいことをこの会社で思う存分やってみようと思い、家内に相談して代表の座を私に譲ってもらいました。

それとともに、独立に当たって長年の夢であった海外移住の候補地をどこにするかを家内と真剣に考え始めました。まず考えたのは、「日本から比較的近いこと(5時間以内)」、「できれば時差がないこと、あるとしても2時間以内であること」、「英語圏であること」、「年間通して温暖であること」という条件を兼ね備えている場所でした。

最初に頭に浮かんだのは韓国です。食の魅力に加え、韓国にビジネスパートナーと一緒に会社を所有しているということもあり、永住権を取得しようと模索した時期があります。しかし、先ほどの移住先の条件を考慮すると、韓国は冬の寒さがかなり厳しいのと、英語があまり通じないため、現地の知人のサポートなしに長期間滞在するのが困難です。

さらに、2017年に特に問題となった北朝鮮の核問題などを受けて、カントリーリスクが高いということで候補から外しました。日々の食事も大切ですが、やはりその前に暮らし、生命の安全、安心が先行するからです。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『『日本×フィリピンで実現する 究極のデュアルライフ』』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。