「母親は、何が何でも家を継いで欲しいって言うてきかへん。私もこれ以上の抵抗は、もう限界かなて思うてしまうわ」

そうか。そう言った切り、先生は腕を組んで黙り込んでしまった。卓球場へ向かうバスの中、右に左に身体が揺れて先生の肩に私の頭が当たる。母親が違う子どもの話をしようかどうしようかと迷った。轍に車輪が落ち込んでしまったように、考えが一向に進まない。

「ひとつ手前で降りて、歩こか」

うん。先生の袖を摑んで、バスを降りた。濃い灰色の雲が、空一面を覆っている。

「何かもう、いやになってしもうたわ。あの家を出て、どっか行きたい」

「そら、早急やな。神崎さんが家を出たら、お母さんは悲しむで」

悲しむ? そんなわけないって。母親が必要なのは家を継ぐ者であって、それなら映美でも問題はないはずだ。そう言うと先生は、うぅんと唸った。

「妹さんが、それでええんやったらな。そうやなかったら、妹さんを犠牲にすることになるよ」

今度は私が唸る番だ。

「多分、映美は異存ないと思う。あの子は経営を勉強してるし、前々から二人でやっていこ、なんて言うてたから」

そうか。またもや先生は黙ってしまった。遠くに卓球場の明かりが、ぼんやりと見える。母親には、昭和か、って詰ったけど私はあの昭和そのもののレトロな雰囲気が大好きだ。昭和の時代を知っているわけではないけれど。どっちからでもなく、立ち止まった。

「せんせは、私が身勝手やって思う?」

先生は、私の肩に手を置いた。星も月もなくてチカッチカッと点いたり消えたりする街灯の下で、先生の目は私を見ているのか、ずっと遠くを見ているのか分からない。ただ掌の温かさだけが伝わってくる。

「誰でも、自分の人生は自分で決める権利を持ってる。それは、他人が絶対に脅かしてはあかんもんや。せやけどな、そうできる人は少ないかもしれへんな」

先生が私の肩から手を離したので、私たちはまた歩き出した。肩先が急に冷えた。

荒物屋の二階に上がると、せぇんせ、あかりぃ、とトミィとミクが手を引っ張りにくる。今夜は久しぶりに、坂本さんが来ていた。坂本さんは六十代半ばくらいの女性で、痩せている。もともとは今の体型ではなかったのか、いつもぶかぶかの服を着ていた。ふわりとスカートの裾を翻して、坂本さんが私の傍に来た。

「今日は朱里ちゃん、何か様子が違ってるなあ。憂い顔も綺麗やけど、笑ってる方がもっと素敵やよ」

鋭い。無理して笑顔を作る。坂本さんは、私の髪にそっと触れる。うん、この髪型、ええよ。坂本さんに会うのは、三カ月振りだ。

【前回の記事を読む】私は、自立できてなかった...「何もかもに満たされた部屋で何にも満たされない私」