承認欲求が暴走することの悲劇と対処法

人間の性質の一つに承認欲求があります。「認めて欲しい」 という欲求ですね。「それがあるから頑張れる!」。

時に承認欲求は駆動する燃料にもモチベーションにもなります。ただ、それもほどほどのところで落ち着いてくれればいいのですけどね。暴走し出すとそれを抑えるのがたいへんに。手に負えなくなります。

つまり承認欲求は薬にもなれば毒にもなるのです。毒になった心の状態を、仏教では「煩悩(心を乱す、妄想や欲望)」といいます。そして、その煩悩を手放す智慧が無いことを「無明」といいます。そこで、「無明」から解放されるためにするのがマインドフルネスや坐禅・瞑想(めいそう)です。

ところであなたは、承認欲求はどこからくると思いますか? 「認めて欲しい」の根っこには何があると思いますか? 

欠乏感があります。欠乏感は満たされていない感覚。では、なぜ人は満たさないのでしょう。それは比較がそうさせているのです。「他の人には有るが自分には無い」「昔の自分には有ったが、今の自分には無い」です。

ちなみに若い時の卑屈は前者、歳を重ねてからの卑屈は後者が多い気がします。