そんな私たちの様子を不思議そうに見ていたのは、H君の母親だった。母親はH君を拒絶し、ケアに消極的だったが、H君が私に打ち解けている様子をみて、自分も何かしたいと言うようになった。そこで、身体的なケアに母親が一緒に関われる看護実践を展開することになった。

H君の母親と一緒にH君の体を拭きながら、私は、「やっぱりママが拭いてくれると気持ちいいね」、と声をかけると、H君は「うん!」と嬉しそうに言った。その時の母親の嬉しそうな顔は忘れられない。

この母子に一体何があったのか、どうしてこんなことになったのか。思い切って、母親に単刀直入に尋ねてみた。「お母さん、いつからH君を叩くようになったの?」。

母親は、自分のしていたことが虐待とは思っていなかったし、子どもを叩くのはしつけだと思ってたから、「生後一か月から、言うことを聞かないと手が出るようになった」と、すんなり答えてくれた。「どんなことがあって?」と聞いた。そして、始まりは母乳育児のつまづききによるものだったということ。

H君は待ち望んでいた子どもだった。出産後は、家族の援助もなく、毎日、無我夢中で初めての育児に孤軍奮闘していた。おっぱいさえあげていれば大丈夫と思っていた。それが、一か月児健診で、児は痩せすぎ、「るいそう」を診断され、即入院となった。母乳がほとんど出ていなかったのだ。

母親は、医師や助産師から、「こんなに赤ちゃんが痩せているのに気づかなかったのか」と言われ、自分はダメ母の烙印を押されたと思った、と言った。周囲が皆、そう思っているように思えて、つらかった胸の内を話してくれた。

「それ、お母さんのせいじゃないですよ! つらかったでしょうに」

私が言うと、母親は初めてそのことで泣いた。その後、H君のケアに積極的になり、身体的ケアを通して母子関係は改善されていった。その時、私は本気で思った。助産師は何をしていたのだ。というか、虐待のきっかけを作ったのは、むしろ医療者の言葉とケアの不足ではないか。これは、きっと助産師教育が良くないのだと思った。

ならば、児童虐待を防止するため、助産師教育を変えなければならない、単純にそう熱く思って助産師を目指した。教育の中で、児童虐待防止を助産師こそ担っていると伝えなければならない、虐待されても親を慕い続け、親を愛する被虐待児、この悲しい関係を作り出すことだけはならず、少しの援助があればこんなことにならなかったのではないかと言う思いが、私を助産師教育へと向かわせた。