ある日、それまで疑問に思っていたことを彼女に尋ねた。

「岡本さんは急に目が見えなくなったのに、不満も愚痴も言われず、いつも穏やかですよね。辛くないのですか?」

梅澤は、自分が発した質問を自分が聞いて、視力を失って辛く無い訳はなかろうに、何と酷い質問をしてしまったと自分を責めた。返事を聞くのが怖かった。気まずい時間が流れた。岡本が穏やかに話し始めた。

「あのね、目が見えなくなってから、耳がすごく良く聞こえるようになったんですよ。ほら、外で鳴いてる小鳥の声とかが、すごく良く聞こえるんです。そしてね、五感覚が鋭くなったというか、今日の風は気持ちいいなあ〜とか、若葉の匂いがするから、木々の葉が芽立ち始めたのかなって分かるんです。だから、良いこともあるんですよ」

梅澤を非難するような答えではなかった。残った五感の素晴らしさを伝えることで、希望を失っていないことを梅澤に知らせるという心遣いであった。頰を叩かれたような衝撃を受けた。なんて素晴らしい女性なんだろう。梅澤は、失礼も顧みず、彼女の顔をまじまじと見つめていた。

時々、見えない目を宙に泳がせて、何かを探しているような素振りを目にしたことがあった。あれは、視力以外の全ての五感を使って一心に見えない世界を理解しようとしていたのだと解った。

それからも毎日、彼女といろんな話題について話した。彼女も梅澤との会話を楽しみに待っているようであった。ある日、梅澤が、高校時代に友人とグループを組んでフォークソングを歌っていたことを話した。

その話題に彼女は飛びついて、「私もフォークソングが大好きで、色んな曲を聴いてます。吉田拓郎もかぐや姫も大好き。先生は、どんな曲を歌っていたんですか?」「一度、先生の歌が聴きたいなあ〜」としみじみと呟いた。

視力を失った彼女は、音楽や会話など耳から入ってくる情報をすごく大事にしていると感じた。梅澤は、「喜んで!」と答えて病室を後にした。

その夜、久々にケースからギターを取り出して、学生の頃歌っていた曲を爪弾いてみた。

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