私は昭和22年生まれですから敗戦後2年経ってから生まれた事になります。父は戦争中に陸軍軍医として南方方面へ派遣されていたと聞きます。敗戦をどこで迎えたのかあるいは収容所に入れられていたのかも聞いていません。

軍人の多くの方々は深い心の傷を負われたのか先の戦争の事を黙して語らずと言う方が多いようです。それはそうでしょう。GHQの占領政策で先の戦争は「侵略戦争」で軍人は「罪人」であるとマスコミを通じプロパガンダされているのですから、黙するしかなかったのです。

今の私なら分かります。私がもう少し早く戦後史をきちんと勉強すれば父ともっと話し合えたと残念でなりません。ともかく大人たちは黙って黙々と戦後の復興(東京なら焼け野原になった都市の再建に)に全力を尽くしていったのでした。

私が物心ついた5歳前後には私の住んでいた新宿もだいぶ復興していました。しかし今の新宿コマ劇場の土地はまだ空き地で草が茫々と生え、バッタを取った思い出があります。新宿駅東口のガード下には白衣を着た傷痍軍人さんたちの姿が何人も見えたものです。軍人さんがアコーディオンを奏でるその前には箱が置かれており、道行く人々はその中に幾ばくかのお金を入れていました。

映画は当時GHQ政策で時代劇は禁止されていて、上映されるのはもっぱら西部劇でした。しかし映画館はいつも満席で立ち見が普通であり、幼い私は父に肩車をしてもらって観た記憶があります。

もちろん占領政策の事など知りませんから西部劇に夢中になっていました。占領政策としてよく知られている3S政策によって日本人には「スクリーンとスポーツとセックス」が意図的に流されていました。サンフランシスコ条約が結ばれるまではそんな状態にあったのですがほとんどの日本人はそのことに気づかなかったのです。

今も野球がもてはやされていますが、それが実は占領政策の名残と言ったら野球ファンは怒るかも知れません。私もイチローさんも好きですし大谷選手の華麗なフォームには憧れますが、歴史の大きな流れから見る視点も大事だと思うのです。

日本をテーマに勉強すればするほどに色々の事がわかってきました。私が、無意識的に日本文化が嫌いになったのは実は戦後の歴史、とりわけ映画界・テレビ界にまで敷かれた占領政策によるものらしいことが見えてきたのです。そこまで見えてくれば私は"消された日本文化"を学ぶしかありませんでした。