“一切皆苦”の救済「だからこそ」

大乗仏教(仏教を2分する衆生救済の教えの一つ)の主となる理念の中に“一切皆苦”というのがあります。それは、読んで字のごとく「生きることはすべて苦しみ」という意味です。そして、なぜ苦しむか、どんな苦しみがあるかは“四苦八苦”の中で解説しています。

「生老病死」。あなたもそれ、一度は聞かれたことあるのではないでしょうか?

「生きることの苦しみ」「老いることの苦しみ」「病気になることの苦しみ」「死ぬことの苦しみ」。その“四苦”のほか、「愛別離苦(あいべつりく)」愛する者と別離する苦しみ。「怨憎会苦(おんぞうえく)」嫌いな相手と、会いたくないのに会わなければいけない苦しみ。「求不得苦(ぐふとくく)」求める物が得られない苦しみ。「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」五蘊(人間の肉体と精神)が思うようにならない苦しみ。

上の「四苦」を加えて「四苦八苦」といいます。字を見るだけで、オドロオドロしさを感じなくもないですよね。しかも、このような言葉を聞かされたら「じゃあどうしたらいいの」と、元も子もない話にもなります。

しかし、僕はこれを初めて知った時、「仏教、凄い!」って思いました。なぜなら、仏教は今から2500年も前にできたものなのに、ちゃんと現代にも通ずる苦しみをうたっていること。時が移ろっても人の苦しみに変わりはないのですね。字面を追うだけで大体のこと理解できますしね。

そんな苦しみばかりを理念としている教え。仏教はそのことをただ悲観するために説いているのではありません。「だからこそ」なのです。諸行無常のこの世に生かされている以上、四苦八苦は避けては通れない道。ビジネスの成功者もお金持ちも、みんな平等に“苦”と対峙することになります。

だからこそ、今この時を充実して生きる。楽しんで生きる。自分を大切にして生きる。そのためにはどうしたら良いか。一切皆苦から救われるための生き方の智慧を「空」で説いているのです。

般若心経の中では“無”とか“不”などの言葉がたくさん出てきます。それは、否定的な文字を並べることで逆に肯定する、否定の奥にある真実を観察することを意味します。解釈が容易で肯定的な言葉を並べれば分かりやすくはなります。

しかし、それだと底の浅いものになり、読んですぐに学べた気持ちになってしまいます。つまり学んで探求しようとする姿勢は弱くなるのですね、なのであえて難しくしているのかなと僕は思っています。

「分かり辛い」「でも、ゆえに奥深い」それが般若心経なのです。