【前回の記事を読む】モナ・リザ盗難事件の被疑者、ギョーム・アポリネールの波乱万丈な生涯

彫刻家・画家 Alexander Archipenko

アレクサンダー・アーキペンコ 1887.5.30 キエフ─ 1964.2.25 ニューヨーク

 

フランス入国ができないフォン・ヴェッチェン夫妻は1919年11月1日、亡命先のマドリードから夫の生地デュッセルドルフに向けて旅立ち、ミラノを経由してチューリッヒのゼルテヒ53番地にあった彫刻家ヘルマン・ハラーの自宅に迎えられます。そこでマリーはアポリネールが、戦前から惚れ込んでいたアレクサンダー・アーキペンコを紹介されます。

キエフでエンジニアの息子として生まれたアーキペンコは数学を学び、科学と芸術に情熱を燃やす若者でした。1902年からキエフとモスクワで絵画と彫刻を習い、1908年パリにやってきて、ラ・リューシュ(蜂の巣)に住みキュビスム運動に参加します。

1911年の第27回アンデパンダン展でアルベール・グレーズやロベール・ドローネーらとともに展示された作品に対する批評は炎上し、アポリネールさえも狼狽させます。1912年ラ・ボエティ画廊で開催された初めてのセクション・ドール展ではピカソは参加しませんでしたがアーキペンコはじめ31人のアーティストによる200点の油彩画が展示されアポリネールが序文で彼らを擁護しました。

ブランクーシやデュシャン=ヴィヨンとともに抽象彫刻の大家となった彼は、1923年ベルリンを離れアメリカへ行き、大学やバウハウスで教鞭をとりながら制作を続け1928年アメリカ国籍を取得、1964年2月25日ニューヨークで生涯を終えます。