モデル Bronia Clair

ブロニア・クレール 1906.8.8 ブレスト─ 2004 パリ

 

1906年8月8日、ベラルーシのブレストで生まれたブロニア・テルムテールは、1922年2月、15歳の時、姉のティリアとともにパリにやってきます。

ピアニストになることを夢見ていたブロニアですが、モンパルナスのボヘミアンたちの仲間に入り、生活のためにポール・ポワレのマヌカンやキスリングやマリーの友人ニルス・フォン・ダルデルのモデルを務め、フランス語もまだよく話せませんでしたが、マリーたち芸術家グループの仲間入りをします。

マリーは姉ティリアの肖像画(マリー・ローランサン美術館蔵)を1924年油彩で描きました。ブロニアは1924年12月31日、シャンゼリゼ劇場でマン・レイにより撮影された、マルセル・デュシャンと一緒にヌードでポーズをとったアダムとイヴの写真で特に有名になります。

ある日画家のピカビアに誘われてシャンゼリゼ劇場に来たブロニアは、幕間に舞台裏で新進映画監督のルネ・クレールを紹介され、1926年、彼と結婚することになります。

ハリウッドでも成功し、映画人として初めてアカデミー・フランセーズ会員になったルネの死後、70年以上の沈黙を経て、ブロニアは結婚前にコクトーの恋人でもあったレイモン・ラディゲの、自分が最初で最後の異性の恋人であったことを明かします。

1923年3月末、姉妹の小さな部屋の下に住んでいたトリスタン・ツァラに誘われて出かけたダンスホール「バル・ビュリエ」で、ブロニアはアジア的なアーモンド型の目をした、ウイスキーを飲む不良のくせに、アカデミー・フランセーズに入ることを望む19歳の青年を紹介されます。

ブロニアはこの青年ラディゲにほとんど一目惚れをしてしまい、その後マリーたちの溜まり場「屋根の上の雄牛」で再会した二人は恋に落ち、トゥルノン通りのアパルトマンで同棲を始めます。

この年『肉体の悪魔』を上梓し一躍若手作家として頭角を現し、ブロニアとティリアパリ社交界でも注目を集めたラディゲでしたが、エチエンヌ・ド・ボーモン伯爵の家で催された舞踏会を題材にした2作目の小説『ドルジェル伯爵の舞踏会』を病院のベッドの上で校正していた12月12日、「神兵に銃殺される」とコクトーに言い残して、腸チフスのためわずか20年の生涯を閉じます。

ブロニアは2004年に亡くなるまで、夭逝(ようせい)した恋人の思い出を心の中に深く刻み止めていました。