そして二八歳で結局、A子とは離婚しました。子供はいませんでした。A子は私と酒の犠牲者です。私には彼女のその後を知る権利も、謝ったり、許してもらったりする権利もないと思い、離婚後一切どうなったのかわかりません。私には幸せを願う権利もないほどに、傷つけ、迷惑をかけてしまったと反省しています。

私は二九歳で転職し、全国チェーン展開をしているレストランに勤めました。将来自分の店を持つ為の修行のつもりで、マネジメントについて精一杯学ぼうとその職場を選びました。本社は愛媛県でしたが、勤務先は神奈川県になりました。愛媛から神奈川へB子を連れていき、結婚しました。元不倫相手は私の新しい妻となりました。

新しい妻のB子はお酒を飲みませんでした。私の深酒を心配はするものの毎日美味しいおつまみを沢山作ってくれて、お茶を飲みながらいつも話し相手になってくれました。レストランチェーンは今でいう「超ブラック企業」でしたが、私は自ら喜んで進んで毎日一五時間以上働きました。当時の飲食店ではそれが当たり前だと思っていました。将来独立するつもりなら、今のうちに厳しくしてもらっておいた方がいい、独立したらこんなもんじゃないはずだと、がむしゃらに働きました。

B子はどんなことでも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれました。遊ぶ時間なんてないほどに働いていても、やはりお酒はやめられず、時間が取れないので睡眠時間を削って飲むようになり、私は仕事の疲れとアルコールでノイローゼ気味でした。記憶がないまま夜中に冷蔵庫に小便をしたり、夜起きて突然外に歩いて出ていったり、家中の引き出しを全部開けて回ったり、夢遊病なのか(どうかわかりませんが)精神を病んでいたことは確実だと思います。私の知らないところでB子が後処理をしていたそうです。

そんな面倒見の良い献身的な妻のおかげで、なんとか問題を起こさず(問題に気づかないまま)当時を乗りきっていました。ずっと社内でもトップの成果を上げていた私は、三六歳で満を持して独立、レストランを開きました。私とB子とアルバイト一名の小さなイタリアンレストランでした。ありがたいことにお店はオープンからずっと繁盛し、私生活では待望の第一子まで授かり、順風満帆でした。