【前回の記事を読む】【エッセイ】重度のアルコール依存から抜け出した著者の実録!

第一章

高校生になると、誰かの家に集まり五人〜一〇人ぐらいで「家飲み」をすることがありました。

何度か繰り返すうちに「多く飲める奴が讃えられる」という図式ができあがりました。

私は人気者になりたくて沢山飲める方法を研究しました。テレビCMか何か忘れましたが「ビールは味わうのではなく喉越しで飲むのだ」と、どこかで聞きました。私は水やジュースを飲む時も練習を繰り返しました。

飲む時に喉の奥を開けて直接喉の奥に当てるように流し込むのです、鼻呼吸は吸うも吐くもせずピタッと止めたまま、そうすると味や匂いを感じることもなくゴクゴクと飲み干すことができるようになりました。

味がわからないように飲み込むという、もう何の練習をしているのか意味不明ですが、とにかく沢山飲んで陽気な人気者になりたかったのです。かくして私は飲み会では毎回人気者になることができました。

高校三年生からは家庭の複雑な事情もあって一人暮らしになっておりましたので、親からもらった生活費をやり繰りしながら「毎晩必ず一本以上ビールを飲む」という自主練までするようになりました。

高校を卒業する頃には、友人たちの間では有名な大酒飲みとなっていました。それでもビールは相変わらず苦くて不味い飲み物でした。

高校を卒業した私は、自衛隊に入隊しました。

高校は進学校だったのですが、三年間勉強に身が入らず記憶力も悪く、大学進学も諦めました。もしかしたら飲酒の悪影響がすでにあったのかもしれません。ほとんど全員が進学する学校だった為、学校推薦の就職先がありませんでした。教師からも諦められていました。

偶然、街角の張り紙で見つけた航空自衛隊幹部候補生というところになんとか合格したのでした。自衛隊では山口県へ行き、その後名古屋へ行きました。

そこでも大酒を飲める私はやはり人気者でした。大人の世界ではさらに飲めば飲むほど持て囃されました。特に先輩や上司受けが良く、本当に可愛がってもらいました。

記憶がなくなることは多くありましたが、なんとか大きなトラブルもなく飲酒ライフを楽しんでいました。

酒量はどんどん増えていきました。この頃から、私はとうとう「完全体」になりました。それまでにもビールが徐々に美味しくなってくるのを感じていましたが、一九歳の時ハッキリと美味しいと感じるようになりました。苦味はコクやアクセントになりました。

そのうちすぐに「完全体」を超え、仕事中でもビールのことを考えるだけで涎が出てくる「パブロフの犬」状態になってしまいました。

自衛隊は結局、我慢が続かず一年足らずで辞めてしまいました。