この汲み取り作業に慣れていない中学生、高校生のころには何度か運搬中に素っ転んでしまい、頭からし尿をかぶって、ウンチまみれになったこともある。そんなわけで、大人になってからもこの仕事は嫌で嫌で仕方がなかったのだが、最近はそれほど嫌でなくなってきている。むしろ、この仕事に誇りすら感じることがあるのだ。

この仕事は人間が生きていくうえで、絶対に外すことのできない、やらなければならない任務だ。「自分で出したし尿を自分で片づける、というのは本来、すごく当たり前のことなんだよなあ」としみじみ感じる。

また、我が家では燃料も自家生産している。市街地に住む多くの人は石油ストーブを利用していると思われるが、我が家には薪ストーブがある。今でも、山奥の農村などを中心に薪ストーブのある家は何軒かあるが、昔に比べればずいぶんと減ってきた。

我が家では農閑期に、所有している林から間伐材を切りだしてきて、それをマサカリで割って薪を作っている。この仕事も、便所の汲み取りと同様に相当に大変で面倒な仕事であり、思い出もいろいろとあるのだが、今回の「ひとりごと」では詳細を省く。ただ、この仕事も最近はあまり嫌だとは思っていなくて、誇りのある仕事だと思っている。

他にも、我が家は上水道が通っていないからポンプで地下水をくみ上げて井戸水を使っていることだとか、山奥だから携帯の電波や地デジ電波が届かないといったことなど、田舎特有の不便さがいっぱいある。だが、本当に地に足のついた生活とはこういうことなのではなかろうか、と自分に言い聞かせながら今日も便所の汲み取りに鼻を曲げている。

【前回の記事を読む】不満発生…「北海道で東京のテレビ放送を見る羽目になった」事情