自宅は幼稚園として使用していた。自分の家は幼稚園児に占領されていた。集中して勉強出来るのは、幼稚園が終わってからであった。

数学類と歴史類、語学など教科によって、周囲の環境によって、勉強進捗が左右されることを自分で見いだした。勉学の計画内容と実戦、効果の差も見いだせた。自分で見いだしたそれらの法則を適用し、有効な勉学法を次第に活用発展させた。これを大学受験に適用した。このことが、のちの人生においても、勉強でも仕事でも他人に頼るのではなく、自分で考えること、工夫することに繋がった。

八十歳を超えて、脳梗塞に被患した。身体機能回復のためのリハビリ計画にも役立った。すべてのこと、において、先ず悩み、考え、工夫することが大切であることが実感出来た。

授業は敗戦後に海外から引き揚げた先生、戦線から無事帰国した先生など、多彩な先生方が個性的な授業をされていた。日本再建のために、熱心な授業が繰り広げられた。従って教科書を追っかけるだけでは理解しにくく、図書館を利用したり、自製のプリント、参考書を活用したりすることも多かった。今でいうカリキュラムは存在したのであろうが、先生方の個性が生徒を引き付けていた。中高が続いているので、学習の進度は速かった。

高校に入ると、学期ごとに英語、数学、国語の三科目について、実力考査が行われた。あらかじめ試験範囲なるものが設定されずに、その学年の学生として具備すべき実力を試されるのである。成績の順に氏名が壁に貼られる。自分の成績が全員の前に明らかになる訳である。学生にとっては、酷であるという意見もあったが、自分の学力不足を認識し、計画を立てるには大いに役立った。