【前回の記事を読む】名門・麻布学園に通った男が体験した「毎月25日の苦痛」

第2章 麻布中、麻布高、東京大学の頃

麻布学園(中学校・高等学校)

部活やスポーツは盛んで、体育館やグラウンドの取り合いは熾烈であった。

文芸、演劇や音楽が盛んで、プロの道に進んだ者も居た。大学のこのジャンルの学部へ進む場合、国立大の場合、数学や理科も必修であったので、皆手を抜けなかった。

上に繋がる大学はない。大学へ行きたかったら、どこかへ合格せねばならない。

流石高校最終学年になると、皆一生懸命になった。進度が速かったので、高三の後半は授業が少なく、大学受験準備に使えた。前年度に大学に合格した先輩達が、激励に来てくれた。各々希望する大学のバッジをつけた先輩を見て羨ましく思い、奮起したことを思い出す。

遠足、修学旅行というのは児童、生徒時代の楽しい行事のひとつだ。普段の授業から解放されて、自然の中、古典的社寺仏閣を尋ね、親元を離れ友達と宿泊するということは、大きな喜びである。しかし経済的事情により参加出来なかった。だから僕のアルバムには中学、高校の時の写真が少ない。卒業記念のアルバムも買ってもらえなかったので手元には無い。

敗戦後のわが国は経済的回復を見せていたが、その影響は音楽家の懐まで届くのにはなかなか時間がかかった。麻布では周りの多くの友人並のレベルの生活は送れなかった。