「これからは全員、内藤君のことを社長って呼ぶよ。真由子も賛成してるし」

「それあかんよ。この前、約束したろ。真由子と3人で初めての役員会議で。3年後に決めよって。それまでは言わん約束だったよな。時間掛けてほかのみんなにも納得してもらうことが大事なんよ。3人でトロワの名前に誓ったよな」

「〈トロワ〉の名前も相続したからみんなもまとまったんじゃない? トロワに登記変更して正解よ」

「びっくりやなあ、元の登記名が勅使河原写真館そのままで。亡くなった拓史社長は義理堅いんだな」

トロワを取り仕切る3人は競って早くに出勤する。真由子は朝早く出社すると、いまにも拓史がカサブランカを抱えて現れるような気がしていた。

真由子はカフェ・オーナーで収まらず、まるでトロワの人事部長になっている。スタッフの普段の姿を一番把握しているのが彼女だった。内藤や小絵の欠点を補って余りある。

「小絵ちゃんの『詩』、あの社長の胸ポケットに入ってた手紙。取り調べのあと渡されて読んだよ」

内藤だけが知ることになった和歌山県加太かだでの一夜は胸に仕舞って誰にも語っていなかったが、すでに時効扱い。真由子も二人の関係を赦していた。

「やめてよ! 蒸し返すなんてひどいわ」

小絵が抗議する。

「あれ、どう読んでもラブレターやろ。遺言には見えないけどなあ」

「ほんとに皮肉だわね。遺言書いて渡した小絵ちゃんが元気で、それを胸ポケットに仕舞った社長が亡くなるなんて」

「それは違う。命捧げて小絵ちゃんを引き戻したかったんや」

内藤には亡き社長が宿ったようだと、二人は感じている。

「まあ真由子が一番の立役者には違いない。あの騒ぎでトロワ閉めたの3日間だけで済んだんやからな」

「くよくよしても仕方ないでしょ。私はお客さんをがっかりさせたくなかっただけよ」

店内には彼女の好きなウィントン・ケリーの名曲が流れている。正確なスタッカートが安心できるらしい。ピアノのささやきはカフェに欠かせない。

「ゴメン静かにして! お客さん入って来たから。はい、コーヒー淹れたわよ」

真由子は人差し指を立てて二人を制止する。化粧は最近少し濃くしている。何かの決意の表れか。それぞれの距離感を巧みにコントロールするのが彼女の役目の一つ。

彼女は拓史よりBGMの選曲から音量まで神経を使う。〈カフェ・トロワ〉のこととなると妥協はなかった。本気度は誰も彼女にかなわない。これからは厳しくなりそうだ。

小絵のジーンズ姿は変わらないが、真由子は最近グレーを基調にしたワンピース姿が定番になっている。