自衛隊を辞めて名古屋から愛媛に帰ってきた私は、宇和島へは帰らず愛媛の県庁所在地・四国最大都市の松山に住むことにしました。

その松山の繁華街のど真ん中にある居酒屋でアルバイトを始めました。働き始めてすぐに私の歓迎会があり、私は記憶がなくなるまで飲みました。その飲み会で私は転んで店の襖を壊してしまいました。

もちろん私は憶えていませんでしたが、翌日店長にも笑って許してもらい、スタッフのみんなとも打ち解けることができて「君はよく飲むね、気持ちいいよ」などと煽てられ、益々調子に乗っていってしまったのです。

その店で出会った先輩Sさんが私と同じく大酒飲みでしたが、酒が入ると気が大きくなるタイプの人間で、仕事を終えて飲みに出ると必ず揉めごとを起こしていました。

私は中学、高校、自衛隊でずっと柔道を習っており二段の腕前でした。ある日、Sさんといつものように気持ち良く酔っ払って店を梯子していると、自分から絡んだのか絡まれたのかまた先輩が揉めています。そして、とうとうチンピラ風の男と殴り合いの喧嘩になってしまいました。

私はSさんを助けようと、素人相手に初めて喧嘩をしました。相手が格闘技を習っていない場合、もちろん私の相手になるはずもありません。

それから私はSさんに頼りにされるようになりました。Sさんは益々揉めごとを起こすようになり、喧嘩は日常になりました。二〇歳にもなって喧嘩デビューとはまったく、今となっては恥ずかしい限りです。

毎日、居酒屋・スナック・雀荘・ナンパ・喧嘩のローテーションで、警察や病院にも何度も行きました。

しかし、それは酒飲みなので仕方がない、酒飲みなのだから当たり前だと思っていましたし、私の周りにはそういった付き合いの友人ばかりになっていましたので麻痺していました。飲酒によって自分から麻痺するようにしていたのかもしれません。

二一歳の時、またSさんといつものように酔っ払って喧嘩した相手が、少しマズい関係の方だったようで、沢山のパトカーに取り囲まれ、刑事ドラマのような取調室に入れられました。取調室で刑事さんに怒られると思ったのですが「心配せんでもええ、なんとか丸く収めてやるから」と言われ、ことの深刻さを理解しました。

ベコベコに凹んだスチール製の事務机と「どう見ても犯人側でしょ」とツッコミたくなるマル暴の刑事さんは本当に恐怖でした。逆に警察に守ってもらうような形で家まで送ってもらい、結局は警察も喧嘩相手も私みたいなガキなんてどうでもいいみたいで、お咎めなしで許して頂きました。

その後、私はその職場を辞めて、松山・道後温泉のホテルで真面目に働き出しました。もちろん喧嘩をすることもやめました。