☆話を戻す。

往時の日本国はもう一つ魅力があった。多数の鉱山を持ち、質の良い金銀の産出量を誇っていた。その代表は豊臣秀吉の「黄金の茶室」が証明している。これらの情報はスペインやポルトガルのキリスト教の宣教師辺りからの情報であろう。

ルイス・フロイスの『日本史』(中公文庫)には大変詳しく語られている。日本で良質の金銀が産出できたのは「灰吹法(はいふきほう)」という精錬法を会得して純度を上げることに成功したことが最も大きな要因である。ここは読者も知っておかれたい。

これで初期の日本の金銀は垂れ流しであった。特に銀の産出量は世界一のスペインと比較されるほどの産出量でこの銀で、戦国時代に鉄砲を大量生産し三〇万挺を用意出来た。

一国の指導者がこの武器を使いこなせる為政者は世界の中で豊臣秀吉だけであったと言われている。この三〇万挺という数は欧州全部の合計よりも多い数である。

鉄砲を集団で戦力として使いこなしたこと自体が稀有(けう)なことであったらしい。これが後節で触れる豊臣秀吉の日本版「中華思想」による大陸侵攻の野心に転嫁(てんか)されていくことになる。