意識と無意識

私たちは感覚入力の多くに気づいていないが、体は反射的に応答をしており、それらには自律神経系を介した応答も含まれている。それでは、意識されない感覚入力は人の随意行動には影響を及ぼさないのであろうか。実は、気づいていない無意識に影響される行動例が数多く知られている(参考文献2)。

皆さんはサブリミナル効果をご存じだろうか? 映画などで通常は気づけない程度の短時間だけある画像を挿入すると、それが行動に影響を及ぼすという効果である。

例えば、映画の一コマにある飲み物や食物の画像を入れると、映画を観ている最中はその一コマに気づかないものの、それでもなんとなくそれらを飲みたくなったり食べたくなったりする現象である。この効果については疑義がついたこともあるが、こうしたサブリミナル効果を狙った広告の放送は禁じられている。

また、画像(がぞう)記憶(きおく)という現象が知られている。画像記憶は見た光景をそのまま画像として記憶してしまう能力を指す。私にはこの能力がほとんどないが、画像記憶力を持っていたという知人がいる。彼によれば、試験前に教科書を見ておくと(読むのではなく)、記載内容は理解できていなくても、画像自体を想起できるというのである。

試験中に、あるページの文章や図が画像として浮かび上がるので、そこに記載されていたことを解答できるという。ただし、記載内容は必ずしも十分理解できていないために、思い起こした画像で文章を冒頭から読み直さないと正答にたどり着けないということだった。

ここで記憶された画像情報は、無意識(気づいていない状況)で脳内に残り、それが後に「意識」された形で利用されたと考えられる。知覚されていない感覚情報や記憶が行動に影響を及ぼす例は他にもある。

それでは、「意識」することの意味やメリットは何であり、なぜ「第二の気づく意識」が存在するのだろうか? こうした疑問については、「第二の気づく意識」や「第三の内省する意識」の実体について理解を深めたうえで改めて論じたい。


参考文献2:『サブリミナル・インパクト 』下條信輔著、2008、ちくま新書