「忌中 1週間ほど休みます」という貼紙がジュリア鞄店のシャッターに貼られていた。それを見た途端に、奇妙な金属音が悲鳴のように高梨の頭の芯から鳴り響いた。

「麻里那! 俺が殺したのか!」

幽霊になった麻里那が、高梨を見つめている。いるはずのない影を背中に感じ、高梨は振り払いたいような、むしろ(まと)わりつかれたいような、矛盾した感情の狭間にいた。麻里那は子供がいないため、外科医の激務を断る理由もなく、また、休むつもりも本人にはなかった。

家庭を持つ優秀な女性医師が外科を次々に辞める中、麻里那はますます仕事に邁進した。高梨は、麻里那と症例について討論しあう二人きりの時間が楽しかった。だが同時に、彼女に家庭を持たせられない罪悪感と闘っていた。また、近い将来、麻里那に外科医として追い越される恐怖も感じていた。

そこで彼の出した答えは、麻里那と別れることだった。勝手に結婚して、外科を辞めろと。ある日、研修医の歓迎会で、高梨はあろうことか麻里那の目の前で若い研修医に、「彼女になってほしい」と告白した。麻里那との仲を知る同僚が止めに入った時、高梨は麻里那に向かってこう言い放った。

「俺、池添と付き合ったことあったっけ」

それで十分だった。麻里那は、どんなに体調が悪くても、高梨と喧嘩をしても、仕事にだけは穴を開けなかった。ところが、その日を境に麻里那は病院から姿を消した。高梨には、「さすがに傷付きました。生きている意味はないと思いました」というメールが届いて以来、音信不通となった。

そう、高梨はもしかすると麻里那がひそかに徳島に帰っているのではないかと探しに来たのだった。生きていると信じたくて。

「池添のおじいちゃん、亡くなったんですよ」

隣の店の主人が高梨にそっと声を掛けた。

「ここの娘さんが亡くなったんじゃ……」

高梨は涙で汚れた顔で振り向いた。

「娘さんじゃないですよ。でも、お葬式にはマリちゃん、いなかったなあ。仕事かな」

ありがとう、そう言って高梨は最敬礼して、取り出したハンカチで涙を拭いながら、力強い足取りで眉山へ向かった。麻里那は生きているかもしれない。それだけでまた希望が膨らんだ。

「眉山は、徳島中が見渡せるんですよ。一番好きな場所。辛いことがあると、登るんです」

麻里那は、そう言っていた。眉山に登ると、麻里那がいるかもしれない。いなくとも、麻里那のいる場所が見えるかもしれない。そう思って、高梨は眉山に登った。

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『残念ながら俺は噓つきだよ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。