孟母三遷の教えがある。子どもの孟子は墓の近くに住んでいるとき葬式の真似ばかりしていた。これでは教育上よくないと市場の近くに引っ越した。

今度は商人の真似ばかりして遊んでいる。ここも好ましくないと考えた孟子の母は学校の近くに引っ越した。すると勉学に頑張るようになった。

努力するDNAのスイッチがオンになったということだろう。これは親が環境を整えてくれて努力するようになった例だ。

あるいはなにか人生に目的を持ったとき、たとえば野球選手になりたいとかバレリーナになりたいとかの目的を持ったとき努力しようとするDNAがオンになるだろう。

目的を持たせる環境を作るのも親だろう。親から与えられた資質や性向、環境などで自分の人生を作り上げていく。両親から産まれた自分が両親の育てる環境の中で自分を成長させていく、ってことはいつ誰を両親に、どこで産まれたかによって人生は運命づけられているってことだよね。

努力する人間になるかならないかは運命で決まっている、ということ。人生は定められた終着点に向かって収束していく過程だと思う。

なめ子ちゃん、将来あなたがどうなってるかは分からないけど、あなたの生涯が終わりに近づいて人生を振り返ったとき「あぁ、あのときソープ嬢になる運命だったんだな」とその理由に気づくはず。

人生の悩みは川の澱みのようなもので(どうしようか?)と逡巡していても、結局はそこから抜け出せば川の流れに沿って下流に向かっていく。

人生の終わりに近づいて振り返ると自分の人生が分かり(あぁ、あれは人生が終着点に向かう途中の通過点だったんだ)と思うに違いない。

「因果応報」という言葉があるけど、この両親に、この時代、この場所で産まれたという「因」がありその「結果」があり、その「結果」が「因」となり、そしてその「因」で「結果」がある。

このように「因」と「結果」の積み重ねで人生は出来上がる。僕はそう思っている。いまの時代も昔も東洋でも西洋でも「占星術」などの占いがある。これは心の奥底で「運命」というものがあると信じているからではないだろうか。