第一章 春

オステオスペルマム

♫『さよならの向う側』(山口百恵)

S子さん、あなたが何年も前にさし芽をしてくれたオステオスペルマムが、今年は今まで以上に華やかに咲いています。あなたの家の芝生の庭に置かれた陶器のテーブルとイスの足元に咲いていた、マーガレットに似た、あの紫色に近い濃いピンクの花です。「ディモルフォセカ」と呼ばれていたあの頃、私達は名前を覚えられなくて、「紫ピンクの花」と呼んでいました。最近では、園芸店に、黄色やオレンジ色の花も並んでいます。

同じ頃に習志野市に住み始めた私達は知り合い、長男のK君と長女のH美さんの英語の指導をあなたに依頼されました。二人のお子様との授業は、中学生から大学生まで断続的に続き、彼らが社会人になってからは、あなたと私のおつきあいになり、よく出掛けましたね。テニス教室やゴルフの練習場や買い物や昼食会。そして我が家での編み物。お揃いのベスト等を作って、ほぼ毎週会っていました。

「しおひがり」を「ひおしがり」と発音するあなたは、育ちの良さを感じさせる、エレガントな人でした。知恵者で、年下の私に生活のヒントを示唆する母親のような存在でした。頭痛持ちという共通の悩みがあり、体型も似ていて、私達は年の離れた姉妹のように見えたかもしれません。

あなたは山口百恵ファンでした。歌のうまさと、結婚後にスターの座を捨てた潔さを褒めていました。それを思い出して、彼女の引退前の最後の歌を聴き、妖艶な姿を見て、あなたとの30年を懐古しています。

健康に不安を持ったあなたとご主人が、H美さんの住む東京に引っ越して、三年後に、ご主人からの葉書で、あなたがこの世を去ったと知りました。死とは、好きな他者に魂が乗り移ることかな、と感じます。魂なんて無いと思う方が常識的じゃないか、と精神分析家の河合隼雄氏も主張していたと記憶していますが、あなたの法事の写真を送ってくれたH美さんは、あなたにそっくりの顔になっていて、驚きました。

S子さん、最後に、H美さんのメールの一部を転送します。

「母が77歳で亡くなって12年。寝る時に母を思って泣く日々からは卒業しましたが、心の中で話しかけています。今日も見守っていてくれてありがとうとか、具合が悪い時は、何とかしてよとか。ぶつかり合うこともありましたが、大好きな人でした」