【前回の記事を読む】父に連れ去られた見知らぬ部屋で…「お母さん、早く帰りたい」

すずさんへの余命宣告

びっくりするほど外は寒くて涙はすぐに止まったけど代わりにいっぱい鼻水が出た。

ゆっくりと地面に降ろされて手をつないで歩き始める。遠くからクリスマスの歌が聞こえてくる。僕の好きな「あわてんぼうのサンタクロース」だ。

「今日はクリスマスだね」

お兄ちゃんが優しい声で教えてくれる。

「サンタさんくる?」

「どうかな。何が欲しい?」

「おかあさんにあいたい」

「……それは無理かな。君とお姉ちゃんはね……」

お兄ちゃんが僕の手を離してしゃがみ込んで悲しそうな顔で僕を見る。続きを言おうとしたその時僕の身体が浮き上がった。

「洋ちゃん」

冷たい手とあったかい匂いが僕を包み込む。すぐに誰か分かった。

「おかーさん」

何回も何回も謝りながら力強く僕を抱きしめてくれる。僕も何回も何回も謝りながらお母さんを抱きしめた。ジーパンおじさんがお兄ちゃんと話している。その近くにはおじさんの工場で働いている怖そうなお兄さんが腕組みをして立っている。

「おい、行くぞ」

とジーパンおじさんが怖い声でお母さんに言って僕は近くに停めてあった車に乗せられた。

そこからは大人になってから聞いた話。

僕らが連れ出された後すぐに邦夫おじさんが部屋に来て異変を感じた。翌日には父を職場から尾行してマンションの場所を割り出してくれた。しおちゃんのこともありずずさんが来るのには少し時間はかかったがその間もマンションの前で工場の社員達と代わる代わる見張っていてくれた。マンションに乗り込んだずずさん達は珠ちゃんを連れ出した。

父は別段反抗することもなく引き渡したという。根拠なんてないが恐らくなんの感情もなかったのだろう。ずずさんが去り際に離婚届を突き出しても事務的に捺印したらしい。

後部座席から振り返り三日間過ごしたマンションが遠くなっていくのを覚えている。とても怖かった時間だったけどお兄ちゃんが最後に「良かったね」と言ってくれたのが嬉しかった。

父方の親族からの話では父は僕ら二人を施設に入れるつもりだったらしい。お兄ちゃんがあの時言おうとしたことはこのことだったのだろう。ずずさんが迎えに来るのが少し遅かったらと考えると今でもちょっとゾッとする。

それからすぐに部屋を片付けてしおちゃんを含めた四人で一宮市のずずさんの実家に引っ越すこととなった。日にちは十二月二八日の夜七時。ずずさんにとっては二〇歳から八年間の結婚生活を、僕にとっては四年と数週間を過ごしたたくさんの思い出がつまった生家から離れることとなった。

それは半ば夜逃げをするかのように。誰とも別れの挨拶をすることもなく。