真理を介して葛城とは微妙な関係に立ち入っているようだと気づき始めた頃だが、来栖は仕事でも日々の生活でも生きがいを求めようとして目標が定まらず、人生の転機を迎えていた。生きがいを政経塾での修業と活動に求めたものの、迷いが生じていた。

政経塾での修業でも自身の生活全体で公私の活動はそれぞれ独立せず、交叉したり分けられない場合のほうが多いものだとは理解していた。一応の線引きはしており、女性とのつき合いは純然たる私事に属し、広告代理店や役所に勤めて生活のため金を稼ぐというのも、彼の理解では「私的な活動」の範疇になる。

政治論を戦わす、或いはシミュレーションで具体的な政務の実際を実践的に学習するなどの活動は社会人としての対応を自覚する修業であり、将来政務に就くための予備段階と理解していた。このほうは彼の信じるところでは「公的な活動」である。

彼の生活信条はというと、元来この公私にわたる活動を両立させ、相互に良い影響を与え合うことである。生活目標としても、この両立に意義を見出していた。女性と親密になり相互に深く理解し合えることで、感情は豊かになり情緒も深みを増すはずだ。これが当時彼の描いたステレオタイプの「感情教育」だった。

他方の「公的な活動」では、政経塾で修養を積んだ結果、自らの思考力が鍛えられ、社会人としての公的性格も練磨されていく。この両者が結び合うことで、充実した生活を送っていると実感できる。来栖は大真面目にこのような生活設計を考えていた。

ところが熱しやすく冷めやすい性格なのか、この生活信条を具体的に実践できる環境に恵まれた時点で、皮肉にも自身で唱えていた「公的な活動」に迷いが出てきてしまった。これには葛城と真理とのつき合いという「私的な活動」が破綻していくプロセスも案外大きく影響を及ぼしていたのかもしれない。