店主はいたものの、おかみさんはいないので、すでに嫁いでいた義姉が、専務として入り、お店の経営をお手伝いしてくれていたので、克裕は安心して社長業をやれたことだろう。克裕は、お姉さんに、長年にわたり、本当にお世話になっていた。

一九〇〇年代の終わり、日本には不景気風が吹いていたが、克裕の新店舗マルセンは毎日大盛況で、一日百人以上のお客様がコンスタントに来店し続けた。経営者が、その街に住むお客様のことを考えた商品構成をしていけば、おのずと近隣市町村からも買い物に来たくなる。

克裕のおおらかで、ユーモアのある優しい人柄も、人気の一つであった。地元の人たちはお年寄りの方も多いので、入口はバリアフリーにし、店内にはベンチやイスを置き、UCCの特約店でコーヒー豆も販売していたので、コーヒーの無料試飲も、オープン以来、新型コロナウイルス感染症が流行になるまで二十年間、毎日続けていた。

克裕は、店でお年寄りを見かけると、「気をつけらいね。転んだら骨折だからね」と、声をかけ、神奈川県の川崎大師の飴屋さんから仕入れている漢方薬入りの「呆気(ぼけ)封じ飴」の試食をあげたりしていた。