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九、みどりの初恋

私、高橋みどりは、一九五九年、海上保安庁で一等航海士をしている父と専業主婦の母の間に生まれた。両親ともに、明るく、優しく、まじめで、裏表のない性格だった。旧姓は雨森(あめのもり)という。先祖に儒学者の雨森(ほう)(しゅう)がいる。

私は和歌山県田辺市に生まれ、父の転勤で、北海道の留萌(るもい)、名古屋市、京都府舞鶴(まいづる)市、そしてまた名古屋市へと、三年ごとに移り住んだ。父は、海上保安庁から、運輸省の第五港湾建設局の所有する大型船の船長となり、私は小五から大学まで名古屋の地に落ち着くことになる。

名古屋市港区にある運輸省官舎に、家族で入居することになるが、その官舎の二階が私の家で、三階が同級生の順司(じゅんじ)の家だった。彼の父親が、第五港湾建設局の陸上部門のトップで、私の父が海上部門のトップだった。

順司との出会いは、中学二年の生徒会であった。中学二年の時、生徒会前期の会長に立候補した順司の演説はカリスマ性があり、演台の上で演説する彼に、校庭で聞いていた千五百人の生徒たちはクギづけになった。私も、その演説の少しあとにありきたりな演説をして、彼は会長に、私は会計に当選した。

毎日、授業が終わると、生徒会室に役員六人が集まって、生徒会の運営について話し合い、議事録を書いたり行事を考えたりした。素晴らしい仲間だった。毎日が充実していて楽しかった。

ある日、「いっしょに帰ろう」と順司が声をかけてきて、いっしょに帰るようになった。三期ほぼ同じメンバーで、生徒会を運営した。