翌日布由子は高速バスで帰宅するとまもなく、自宅から車で三十分ほどの実家に向かい、哲生にHLAの検査キットを渡して検査の手順を説明した。両親にも兄から諭の病気のことが伝わっていて、「諭はどんな具合だ?」と聞かれた。

父は農業の中でも特にりんご栽培を晩年の励みにしていたのだが、八十代半ばになってりんご畑を手放した。暇つぶしに図書館からよく「大活字本」の文学作品を借りて読んでいるという。息子の嫁が急逝した落胆が癒えないうちに自分より若い妻も要介護となり、末息子まで重い病気に罹ったと知って悄然としているようだった。

「抗がん剤治療で髪の毛が抜けちゃったけど、意外と元気そうだった。諭が結婚するっていう相手の人に会ったよ。きれいで感じのいい人だった」

沙織から土産にと持たされた老舗の和菓子の一箱を渡して、知ったばかりの彼女の身上的なことを話すと、概ね皆が諭の再婚を歓迎していた。病人に何もしてやれない、遠くに住む親や兄姉にしてみれば、彼の身近に頼りになる、心を許せる人がいてくれるというだけで救われる気持ちになるのだ。

哲生は早速検査キットを使って口腔内の粘膜をこすり取り、翌日検査機関に郵送したという。翌週諭からは二クール目の治療が始まったとメールが届いた。しかし七月の終わり頃、件の女性医師から布由子に直接電話がかかってきて、

「残念ですが、お二人とも白血球の型は一致しませんでした」

と伝えられた。骨髄移植の可能性はその時点でゼロに近くなったようだ。