【前回の記事を読む】弟の治療が上手く進まないなか…家族を襲った「急な不幸」とは

諭の病気

洸太は幼い頃から、諭に連れられて盆や正月に田舎の祖父母のもとを訪れていた。従兄弟にあたる布由子の息子の陸と同い年だったので、二人が小学校の低学年頃までは、皆が集まると孫たちのはしゃぎ声が実家に響き両親は目を細めていた。

弓恵も最初の頃は一緒に来ていたが、絵里が生まれてからは訪れる回数が減り、絵里が幼稚園の頃四人揃って来て以降は姿を見せなくなった。離婚してからは諭一人で来るか、たまに洸太と連れ立って来るか、まれに洸太だけで来たこともあった。

洸太は運転免許を取ってからは自分で車を運転して来るようになった。その世代の若者にしては少し過剰に父親の生家に対する思い入れがあるようにも、布由子は感じていた。

後に洸太の口から弓恵の実家とも疎遠になっていることを聞いたので、係累のつながりを求めていたのかもしれない。また幼い頃から母の作る赤シソと焼酎を入れた大粒の梅漬けが大好きで、「最近自分でも梅を漬けてみた」というような、物事へのこだわりの強さも根底にあったと思う。

諭が入院している最中の夏休みにも絵里を伴ってやってきたし、今年の正月にもまた「遊びに行きたい」と言ってきた。両親は喜ぶので夕食を一緒に囲むまではいいが、母の介護や掃除の不行届きもあって実家は高校生の娘を泊められる状態ではなく、夏には布由子の家に泊めた。「お正月は伯母さんの仕事の都合がつかないから」と断ったのが父の亡くなる一週間前だった。

父の葬儀の際も、洸太は事前に諭に相談せずに来たようだ。葬儀が終わって布由子の車でセレモニーホールから実家に戻る途中、洸太は入院中の諭に電話で「おじいちゃんのお葬式に出たよ」と事後報告したため、親子喧嘩となったのを布由子は運転しながら聞いていた。

諭に叱られて大泣きした大学生の甥に布由子は「おじいちゃんは孫たちが来てくれて喜んでいるよ」と慰めた。そして弟には後日、「洸太はお父さんの代わりにおじいちゃんを見送りたかったって言ってたよ」と甥の純粋な気持ちを伝えて取りなした。感情が先に突っ走る洸太と体裁を気にする諭はことごとく対立し、どちらの気持ちも多少理解できる布由子は間に立って振り回された。

治療が長引く中で千葉の住宅ローンの支払いが困難となり、宅地建物の売却も見据えていずれ退去してほしい旨、今後は弁護士が交渉すると諭が手紙で伝えたところ、弓恵と洸太は激怒し抗議の電話を寄越した、と最近沙織から聞いていた。翌年三月に大学の建築科を卒業予定の洸太が「大学院に進学したい」と言っていることも、彼ら夫婦の悩みの種となっている。

諭と弓恵が結婚して何年くらい経っていたのか、「諭が弓恵に無断でサラ金から借金をした」と母から聞かされた。布由子は信じられなかった。

弓恵が逆上して実家の両親に長電話してきたり、消費者金融からの請求書をファックスで実家に送りつけてきたりしたと聞いた。「何に使ったのか」と母が諭に尋ねると、「接待のため」と答えたらしいが、そもそも仕事の接待のために自腹で借金してまで?  という疑念は布由子も感じた。弟がギャンブルをやるという話も聞いたことがない。女がいるんじゃないの? と勘ぐりもした。

しかし表向きには騒ぎが収まり、数年後に諭が子会社の取締役となり、次に社長になっていったことを考えると、布由子には腑に落ちるところがあった。

公務員の布由子には計り知れないが、病院など医療関係者への接待の中で[経費で落ちない]部分に自腹を切ることもあったかもしれない。クレジットカードも一般市民には根付いていない時代だったので、「手持ちがなければ借金してでも間に合わせるくらいの事は、あいつはやったに違いない」と思うようになった。ただでさえお人好しで[断れない]タイプの男だから、ビジネス上の成果を得るためなら多少の自己犠牲は厭わなかっただろう。

そしてその厄介な性格は離婚に際しても現れた。