【前回の記事を読む】【小説】家族に次々と重なる不運。再婚を控えた弟が白血病に…

諭の病気

初めて病院へ行ったその日は諭の元気そうな顔を見ることができて、布由子は少し安堵して帰った。しかしその後のメールのやり取りの中で、諭は「薬物療法で免疫力が低下したため一週間ほど高熱に苦しんだ」とわかった。それからは、諭はどうしているのだろうと布由子は職場でも家庭でも不安な気持ちで過ごした。

一か月後「少し白血球が増えてきた」という知らせが届いて、七月の三連休に布由子はまた見舞いのため上京した。「次の来院の機会に白血球の型を検査させてほしい」という連絡も受けていた。

台風の影響で午後から雨が降り始めていた。布由子は若松河田駅前のコンビニエンスストアで傘を買って、二度目なので迷うことなく病院に着き、エレベーターで七階に昇った。いったん諭の個室であいさつ程度の話をした後で、諭の主治医と一緒に廊下へ出てロビーのスツールに腰掛け、[骨髄移植]についての説明を受けた。三十代後半くらいか、おっとりした印象の女性医師だった。

[白血球の血液型]と呼ばれるHLAの抗原の組み合わせは数万種類あると言われ、その型が一致する可能性は両親から一つずつ組み合わせの型を引き継ぐ兄弟姉妹が一番高く、それでも確率は二十五パーセント程度だそうだ。医師は「なるべく早く骨髄移植をしたい」と言った。

諭からのメールでは、哲生と布由子のHLA検査について「あくまで骨髄移植への備えとして」と記されていたが、もっと切羽詰まった状況なのだと伝わってきた。白血病では一般的ながんのように[ステージ]という表現を使わないらしいが、数年前に同じ病気を患った布由子の友人の夫が移植を行わずに完治したという例もあったので、それよりも悪い状態なのだろう。

布由子はその場で腕から採血された。また一緒に来られなかった兄に渡すため、口腔内の粘膜を自分で採取するキットを預かった。採取後は京都の検査機関へ直接送付するための封筒も付いていた。検査結果がわかるのは二週間後で、移植は急いでも二か月先になるらしい。

ドナー候補になれば一週間ほど入院し、検査を受けて高脂血症や高・低血圧などの問題があれば移植ができないこともあるが、合格すれば全身麻酔の上で腸骨という腰のあたりの骨から骨髄液を注射器で吸引される。ドナーは数日後に退院して日常生活に戻ることができる。採取された骨髄液はすぐにクリーンルームの患者に点滴で注入され、成功すれば二週間ほどで正常な造血がされるようになるということだ。

布由子は頭の中で素早く日程を算段した。I市の職員として三十年以上勤務してきた布由子は、この年四月の人事異動で健康推進課長に昇格したばかりだ。感染症予防や各種健診、国民健康保険や後期高齢者医療などの、経験のない業務を統括しなければならない。管理職なので実務量は少ないが、五係で四十人近くの職員を抱える課なので会議や調整事項も多く、課題が次々と出現する。

二か月後に入院するとなると九月半ばであるが、九月定例市議会と重なってしまうので、できれば議会終了後に入院となるよう段取りしたい。I市ではここ数年女性の管理職が不在となっていて、布由子が久しぶりの唯一の女性課長なので、周囲の期待に応えたいという気持ちもある。諭も医師も布由子の仕事の都合などまるで眼中にないようだ。

だがもちろん弟の命より大切な仕事などどこにもない。諭の白血球の型は日本人には珍しくて、骨髄バンクでもなかなか見つからないらしいのだ。ぐるぐると思いを巡らせながら、布由子は覚悟した。