【前回の記事を読む】闘病しながらも役目を果たそうとする父に、息子は軽薄な一言

覚悟しなければならない時期

七月中旬の夜、沙織から布由子に電話があった。病状が悪化し、抗がん剤の副作用によって諭の目が見えなくなるかもしれないことと、「最悪の事態も覚悟しなければならない」と医師から告げられたという。沙織は今まで弓恵が一緒に来ることを恐れ、ここのところ見舞いに来ていない子どもたちにも連絡を取っていなかったが、いよいよ子どもたちに会わせておいた方がいいと考え始めたようだ。

それから数日後の三連休初日の土曜日、布由子は夫の隆平が運転するミニバンで東京へ向かった。出がけに地元の農産物直売所で(とう)(もろ)(こし)と大粒のブルーベリーを買って来たので、まず調布インターで降りて陸が住むアパートに寄り、小さなキッチンで玉蜀黍の皮を剥いて一番大きい鍋を探して茹でてから、夫と息子と三人で白金台の病院へ諭を見舞った。

持参したトートバッグからつやつやに茹で上がったそれを取り出して見せると、諭は相好を崩して喜んだ。布由子や諭が子どもだった頃の農家の夏には、炎天下の畑で真っ赤に熟れたトマトや微細なとげのある胡瓜などが定番のおかずやおやつで、中でも旬の時期が短い玉蜀黍は特別なスイーツだった。

茹でたての山盛りの玉蜀黍が食卓の上に置かれると、皆が我先に夢中になってまるごと一本、二本と齧り付いた。汗が噴き出した額や鼻の下に扇風機のぬるい風が当たり、カーテンレールに吊るした風鈴が鳴っていた。品種改良が進んだ今では、あの頃より何倍も甘い多様な種類のスイートコーンが食べられる。

諭は一見したところ病状が悪化しているようには見えなくて、甥である陸の会社の業績や仕事の様子を尋ねたり、信州上田の知将であった真田昌幸をその年の大河ドラマで好演している俳優について布由子たちと語り合ったりした。「抗がん剤の影響で視神経がカビのようなものに感染していて、目が見えなくなるかもしれない」ということは本人も医師から聞いていて、受け入れ難い様子ではあるがまだ希望を失っているようには見えなかった。

病院を出てから調布に戻り親子三人で夕食を取る間もずっと、布由子は沙織とメッセージアプリでやり取りをしていた。病室での夕食時に諭は「これだよ、これ」と嬉しそうに玉蜀黍を食べたそうだ。