旅の人、モーツァルト

モーツァルトほど「旅の人」という言葉が似合う人はいないであろう(日本の松竹映画の「寅さん」と同じように)。とにかく6歳の誕生日を迎える2週間前に父と姉と三人でミュンヘンに向かって3週間ほどの旅に出かけたのである。

この旅は「ピアノのための小品K.2‒5」を生む旅となった。モーツァルトはこの旅を皮切りに欧州各地に家族と旅をしたのである。モーツァルト一家がザルツブルクに住んでいた時は、旅に出かける前に必ず、郊外のマリア・プライン教会(挿絵1)に旅の安全祈願に訪れたと言う。

私はこの教会に何度も訪れたことがある。市バスに乗ってバス停を降り、20分程緩やかな坂道を登るとつくが、当時のまま残っている教会を訪れた時の感動は忘れられない。またこの教会から眺めるザルツブルクの景色は絶景である。

モーツァルトは成人してウィーンに定住するようになってからも何回ともなく旅を繰り返した。最後の旅は亡くなる1791年、35歳の時8月下旬から9月中旬にかけて、悲歌劇(オペラ・セーリア)「皇帝ティートの慈悲K.621」の初演のために向かったプラハ旅行であった。モーツァルトは人生の3分の1は旅の中にいた。

モーツァルトにとって旅は人生そのものであり、人生の友であり、師でもあった。旅から旅の日々で多くの友人や恩師にも巡り会い、人間としても、音楽家としても成長していった。幼少期のイギリス旅行で出会い、交響曲の作曲指導を受けた、クリスティアン・バッハ、イタリアのボローニャで対位法の指導を受けた、マルティーニ神父、弦楽四重奏曲の作曲に多大の影響を受けた、ヨーゼフ・ハイドン、と枚挙にいとまがない。