【前回の記事を読む】見つかった父親の変死遺体…警察の調査で浮上した謎とは

一闡提の輩

警察は裏付けを取るため、死亡時刻と推定される時間帯に瑠衣を見かけたことがないか、近所の家々を一軒一軒訊き回った。その結果、瑠衣がその時間帯、「自宅の出窓にいたのを見た」との近所の複数の人たちの証言が得られた。

警察は、「直之が、ハイキングコースから外れ城跡への近道を登ろうとし足を踏み外し、急な斜面を転げ落ちたあと後頭部を強く岩に打ち付け、大量出血し死亡した」と結論付けた。警察は事件性がなく、事故死と断定した。警察署から木村家に連絡があり、喜一郎が手配した葬儀社の車で遺体と遺留品が自宅に運ばれた。

当主の木村喜一郎は、今後の段取りを決めるべく家族を集め、村の主だった人たちも加わって話し合った。その結果、お通夜は自宅、葬儀は木村家菩提寺の浄穏寺で執り行うことに決まった。

お通夜は、浄穏寺住職青山浄証の読経のもといとなまれた。村のならわしに従い、近所の婦人たち数人が集まり料理を作った。住職はじめ親戚、次から次と弔問に訪れる人たちに「お斎」が振る舞われ故人を偲んだ。

お通夜が終わり自室に戻った瑠衣は、事故死と断定されたものの、父が自ら死を選んだのではないかとの疑念がぬぐい切れなかった。私の写真と「父の日」にプレゼントしたボールペンを持って、「なぜ?」と瑠衣はつぶやいた。