【前回の記事を読む】「人間とは悲しみなのだ」胸の奥に響く言葉…森有正との出会い

森有正――星と月と悲しみ

森有正は、どこか小林秀雄に似ているような気がした。小林秀雄は「無私の精神」といっているし、森有正は「透明」と語っている。直接的な世界というのは、感覚から出発する以外方法がないこと。どこに行こうと求めるものは自分自身であり、人はパリにだけそれに目覚める。孤独とは経験(人間)そのものであることなど……。

私は謎が解けるような思いで、この人の本を読み始めていた。

森有正にとって、あることがわかるということは、単なる知識ではなく、体の中に現われてくるもの。表面的な知識ではなく、感覚を通して自分の中に確かに在るものを獲得すること。それが「経験」だったのだろうか。それはおそらく、人間(人格)として美しく結晶していくのだろう。

いや、そんな軽薄な理解ではいけない。それよりも、どうしてこんな人にひかれてしまったのだろう。恐ろしく、手ごわい人に出会ってしまったことが複雑な気がした。

その後、もっと森有正が知りたくなり、パリに行った。機内から街並みが見えてきた時、懐かしい所に帰って来たような妙な気分に襲われた。それは、絵本のせいかもしれないと思った。遠くから眺めた白い建物には、不思議な霊気が漂っているようなパリを象徴しているようにも思えた。それがパンテオンであった。

ノートルダム大聖堂の不思議な気配。森有正が長い間住んでいたカルティエラタンの学生街では、使い方がわからずトイレを壊し、学生さんに笑われたりした。サンジェルマン大通りの美しい秩序と教会。ここで森有正は、鈴木大拙の本を買ったのだと思った。じっとしていられず、朝四時にはホテルを抜け出し、朝焼けを楽しみ、夫を呆れさせた。その光景は、さながらルイジ・ロワールの「夜明けのパリ」の絵のようだった。

そして、寝たきり状態が幻だったかのように、私は凱旋門を登りきった。夫と次男はハラハラしていたけど、長男に支えられ、頂上に辿り着いた時は、夢を見ているような気がした。大勢の人たちが私を追い越して行ったけど、私は「やったぜ!」と心の中で叫んでいた。

その日のパリの空は、青く輝いていて、街並みは美しく、少し湿気を帯びたような風が汗だくな私の体を通り抜けていった。こんな日が訪れるなんて信じられなかった。

シャルトル大聖堂の見事な青の世界。夢にまでみたバラ窓。教会が見えてきて、広場を歩いていた時、なぜか長い時を経て、この場所に戻って来たような気がした。