警察は、現場には直之以外の足跡痕がなく、ハイキングコースから城跡への近道を一人で登ろうとし、前日の雨で濡れた泥土と枯葉に足を取られ転げ落ちたと推定した。警察は、現場の状況から事故死と判断したが、そのことを確定するためには死亡時刻時の家族全員のアリバイと直之の近況を確かめることになった。

喜一郎はその日、趣味の俳句を新聞に投稿するため、家の中を歩き回りながら一日中俳句づくりに没頭していたとのこと。また、直之とは当日の朝ご飯を一緒にしたが、元気がなかったものの特段変わった様子は見受けられなかったと語った。

直之の母・ハナは、十年ほど前から絵葉書に凝っており、その日は大根や葉物野菜を目の前にして水彩画を描くのに専念し、自宅を一歩も出ていないとのこと、直之の表情については、夫・喜一郎同様の返事だった。両人とも八十歳をゆうに超えており、山道を登ることなど到底不可能であると考え、警察は型通りの調査だけで済ませた。

佳奈については、その日の行動を訊き確かめたが、これといった不審な点はなかった。なぜなら佳奈は、二年ほど前から持病の心筋症が悪化し、炊事、洗濯、掃除など家事をやっとこなし、気分がよいときだけ自宅の後方にある小さな畑を耕し種をまき、苗を植え、収穫する日々を過ごしていたからだ。

警察は、遺体が発見される前の直之の行動や健康状態を佳奈に訊いたところ、昼ご飯を食べたあと、「ちょっと山の城跡まで行ってくる」と言い残し、そそくさと出かけて行ったとのことだった。数日間沈みがちで食欲がなかったこと、遺体が発見される前々日から会社を無断欠勤していたことを挙げ、「普段通りの夫の様子ではなかった」と話した。

また佳奈は、「なぜ寒いこの時期、直之がハイキングコースの先にある城跡を目指して登っていったのかわからない」と怪訝そうに語った。夫の遺体が発見されたとの一報を受け、「遺書があるのではと考え、家じゅう探したが見つからなかった」とも告げた。

警察は調査の的を娘に絞り、瑠衣に参考人として任意出頭を求め、警察署で聞き取り調査することにした。警察は泥にまみれた写真と名入りボールペンを瑠衣に見せ、死亡したと推定される日から遺体が発見された日までの行動履歴を注意深く訊いた。

瑠衣は、「この数日間家に閉じこもり、一歩も自宅から外出していない。父がどうして一人で城跡に向かったのかわからない」の一点張りだった。