「今日は月曜日か」

捲りたての三月のカレンダーを眺めながら呟いた。月曜は生ゴミと小物金属の日、雨だから溜まった洗濯はできないとして、買い物はコーヒーと卵とビール。ビールといっても発泡酒だ。テーブル横に置いているメモ帳を取り、ボールペンを走らせながら買い物リストを作る。

朝飯と輝の弁当を作り、二人を送り出したあとにその日の予定を確認する。これが私の朝のルーティンになっている。息子の弁当を作る父親って、子煩悩のようだか、私にとってこれは贖罪(しょくざい)でやっている。

事業というほどもないが何をやってもうまくいかず、あぶく銭は身に着かずとよくいったもので、億を稼いだときもあったが数年で泡と消えて自暴自棄の生活が始まって久しい。その割を輝がくっていた。

私は深い息ひとつする余裕もなく手をあげることもしばしばで、歯をくいしばり睨み返す輝を見てさらに逆上した。ピーピーピー、ストーブの給油警告音が鳴る。灯油タンクの空を思いだしてメモに書き加えた。窓を覗くと、まだ細雨が音もなく降っている――。

この周辺は三十年近く前に大型開発された住宅地で、その外れにこのマンションがある。北に住宅、南には畑と竹藪が残り、窓からの景色は田舎と勘違いするほど緑豊かで、晴れた日は鳥のさえずりも心地よい。そして、住宅地の住人のおおかたは子育てを終え、定年を迎えた老夫婦だ。

このマンションは、新宿から私鉄一本だが急行から普通に乗り換え四十分、そしてバスで十五、六分、バス停から徒歩十分ほどと便利とはいえない。おまけに建築は昭和、今年は平成十九年なので、築後二十年を優に超えている物件ということで賃料は安価である。家主は近郊の農家、日本の都市近隣の農家の実態がそうであるように、開発に伴う用地の売却で得た金で賃貸マンションを農協の勧めもあって建てたのだろう。

私は流しの水切りと生ごみのボックスを空にし、部屋のゴミもひとまとめにしてゴミ置き場に出した。ゴミ回収車が十時ごろに来る。それまでに出さないと回収は翌々日になってしまい室内に溜まることになる。屋内のゴミが消滅したことで私は小さなプレッシャーから解放された。

戻って奥のソファーで横になり、今日の晩飯は輝の好きな餃子でも作るかと考えながら膝かけを拡げ、ウトウトとしだした。ハッと、輝が傘をさしていったか、気になって玄関の傘立てを見たら案の定、アイツの傘は置いたままだった。朝の天気予報が、午前中には雨はやむと伝えていたので、おそらく持っていかなかったのだろう。今日のような雨ぐらいでは傘をささない。そういうところは私に似て、本当に困ったものだと顔を緩ませる。

父親像をつくりながら付け焼刃のような愛を押しつけても、どこかで綻びが出てしまう。これまでそれを綺麗に縫えたためしがない。そう考えると、ついつい輝を自分の同じ世代の姿に重ね合わせてしまう。そのせいか、輝を見ていると永く忘れていた記憶まで蘇ってくる。私にとって子供時代の環境は決してよかったとは言えない。

だからこそ、輝を自分の子供時代と同じようにはしたくない。少なくとも成人になるまでは両親揃っていてやりたいと、父親として一人前のことを思うが現状に鑑みるとそれも微妙、「俺はただのヒモじゃないか」とつい自虐的になる。私は再びソファーに横になって、足元にあった膝かけをたくし上げてすっぽり頭から被り、しばらく目を開けていたがそのまま寝てしまった。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『わくらば』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。