幸い俺のケガは入院するほどではなく、頭を何針か縫ったが、その日のうちに帰宅していいと看護師が告げた。母さんは大げさなくらいに、若い医師と看護師に礼を言って、何度も頭を下げた。病院からの帰り道、なにも話さなかったが、うちにしては珍しく弁当屋で弁当を買い、またさらに珍しいことにスーパーでスイカを買ったのを覚えている。アパートの部屋に戻ると、母さんはすこぶる機嫌が悪かった。

「とにかく仕事の途中で呼ばれるのは困るから。今日の日当、稼げなかったじゃない。もううんていなんかするんじゃない」

強い調子で言った。

(そんな言い方しなくても、今度から気をつけるって)

言おうとした言葉を飲み込んだ。ご飯の前に口答えして、「もう食べなくていい」と、ご飯を捨てられたことが何度もある。

(今夜はスイカまでついているんだぜ)

あれを食べないという手はないと、俺の心の声が言った。母さんと二人黙々と弁当を食べた。電子レンジは使わなかったが、ほんのり温かくて今夜の一人ではない夕食は、それだけで俺にはご馳走だった。食後のスイカを出された途端に、息もつかずに食べ切った。

「私は明日の用意するから、あんたはもう寝なさい」

まだ眠くなくても、母さんの「寝なさい」が出ると、寝室に引き上げなければならないのがわが家のルールだった。

寝室といっても、ちゃんと個室が与えられているわけではない。六畳間をカーテンで仕切り、母さんと半分ずつ使い寝床にしていた。うちにはテレビが台所に一台しかない。その頃、流行っていたゲーム機も、従兄弟のお下がりで二機種ぐらい前のものをやっとのことでもらってきて、大事に大事に使っていた。