重郎左衛門の助言で、軍平の方策がすべて決まった。

疾の番所に命令して、陸路ばかりでなく海上も封鎖させた。船を燃やす期限は半月とし、一の窪の前面に陣を張り、さらに村人を禁足した。重郎左衛門は、吹の村人には異国の帆船の座礁を見たことを、硬く口止めさせると約束して吹に向かった。

上甲板の大砲を下ろす作業に着手していた若宮伸吾は率いてきた海防番所の番士たちに命じて、萱野軍平に言われたとおりに三の窪に陣を敷き、雨が降っても大丈夫な仮設の物置場所をつくった。

異国船を半月後には燃やしてしまうことになって、大砲を含めて船にあるものすべてを期限内に運び出さなければならず、一時保管場所が必要になったからである。材料は甲板から外した船板と帆布を使った。

船大工の作蔵は、船尾にある大砲を滑車で船から下ろすのを見て、甲板にあるのはそれでいいとしても、メイン甲板下のガンデッキにある大砲はそれでは下ろせないと、船尾付近の舷側に穴をあけ、そこに桟橋を渡し、舟をつける台船に繋いだ。

異国船のなかの乗組員の死体は、嵐の夜、浜に泳ぎ着いたが力尽きて死んだ、あるいは、後で流れ着いた死体を村の墓地に無縁仏として埋葬したというので、村人に手伝わせて同じところに埋葬させた。それは村人が異国船内に入って物色したことに対する罰でもあった。

その後は、番士を派遣して村を禁足状態にした。また、大砲を運び出すのを吹の村人にも見られたくないと、陣を敷くという名目で、一の窪の前面の浜辺に幔幕を張った。吹は窪地の奥にあったから、村人はその後の難破船の様子などはまったくわからなくなった。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『祥月命日』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。