【前回の記事を読む】「これこそが美であり、美の意味であり、美の本質なのだ」

辻邦生(廻廊にて・他)

付記

このプルースト体験も、すべての人に起きるとは限らないのだろう。

当時、私の体には異変が起きていた。体の皮膚が陥没するという膠原病特有の病変である。左上の腕の付け根は深くえぐられていて、今もノースリーブを着ることにためらいがある。

太股だけではなく、額が陥没した時は、このままではお岩になってしまうのでは……と恐怖感を覚えた。裸で生きているわけではないので、他の部分は衣類で隠せるが、顔はお面を付けるわけにはいかない。でも、受け入れるしかない。この頃から、私は女ではなく、額が陥没した人間として生きていかなければ……と言い聞かせた。

幸い顔は額の陥没だけで収まったが、後に、ドイツの社会心理学者・哲学者であるエーリッヒ・フロムに出会い、性の区別のないマンという意味を復活させたいという考え方を、大いに嬉しく思った。

今も、私は基本的に人間という認識で生きている。

私がないのに、私は在るというこのパラドックスの意識現象を「プルースト的禅的経験」と名付けてみたのだが、私の場合、なぜ空だったのだろうという疑問を持つようになった。

私の「存在の故郷」がなぜ「空」なのだろう……と考えるようになった。

「存在の故郷」は、何となくそんな言葉が浮かんだに過ぎないのだが、後に本多弘之先生に再会し、この言葉の出会いに非常に驚かされた。