へとへとに疲れ、倒れそうになりながら、やっとの思いで駅長室に駈けこんだ。若い職員が、一人の女性の相談事を聞いていた。そこに割って入るように話しかけたものだから、その職員は怪訝そうに「順番ですから、待って下さい」とえらく落ち着いて私に応えた。普通の事情なら私も待てるのだが、海外旅行に出かける直前のこの時ばかりは待てなかった。

しかし、それ以上言葉を掛けることは憚られ、女性との話が終わるのを待たざるを得なかった。

「どのくらいの間だったのだろう?」

私はとてつもなく長く感じた。やっと女性との話が終わり、その職員は私に応対を始めてくれた。ここで時間が掛かったら今日の出発は諦めざるを得ない。

「今から十分ほど前に到着した快速電車に大事なバックパックを置き忘れました。それがないと、これから出かける海外旅行に間に合いません。パスポート、財布、旅行のチケット、ホテルの予約確認書、そしてPC」

そこまで聞いたその若い職員は、「さっきの快速電車に置き忘れがあったのは、これ一点です」といって黒い四角いバックパックを出した。

「あっ! それです!」

ほっとしたのと同時に、息せき切って走った疲れがドーっと出て、へなへなになりそうだった。慌てふためいている私とは反対に、落ち着き払った態度の職員から「あなたのものである証拠が必要です。まず身分証明書を見せて下さい」と憎らしいほど冷静でかつ正当なことを言う(と私はそう思うしかなかった)。

「身分証明書はそのバックパックの中にあります」「名前は、佐藤 昭」「住所……、電話番号……、そして中身の重要なもの」を矢継ぎ早に説明した。そこまで聞いて、その職員はやっと本人だと確信してくれたらしく、小さな紙切れを出して「住所、名前、電話番号を書いて下さい」と言われ、焦りながら書き終えた。

やっと職員はバックパックを渡してくれた。時計を見ると、バスの出発時刻までまだ十五分くらいあった。「ああ! 良かった」と小声で自らに呟きながら、足早にリムジンバスの乗場へ戻った。ゆりは心配そうな顔をしていたが、バックパックを背負って戻った私を見て笑顔に戻った。

とんでもないスピードですっ飛んで行ったものだから、体中が燃え上がるように熱くなっており汗がだくだくと出て、拭っても、拭っても、しばらく止まらなかった。夜遅いバスだから高速道路は車が少なくすいすい走った。やっと汗が収まったころに羽田空港国際線ターミナルについた。出足の失敗のおかげで、きっと旅行中は慎重な行動をすることだろうと思った(いやこれは確信であった)。