【前回の記事を読む】今の時代なら一発アウト!かつての慣行「修学旅行汚職」とは

中部地区の普通科高校

進路指導主任として ~進学指導に尽力、東大合格とマスコミ取材~

私は2期連続6年間学年を担当した後、進路指導部という分掌に配属となった。ちなみに、学校社会では、学年を終えると、いったんは教務部、生活指導部、進路指導部などといった学年外の分掌に所属し、ある程度の期間をおいて、学年に“再登板”するというのが一般的である。

その慣例を敢えて破ってまでも、なぜ連続で学年に入ったのか。それは悪しき人事の“負のスパイラル”を断ち切るためであった。すなわち、同じ学年のメンバーと後々巡り合い、“馴れ合い”と“もたれ合い”のマンネリ集団を避けたかったからである。

なぜなら、当該校では、3年周期で人事サイクルが回り、3年後にまた同じ学年を組むということはしばしばあった。そのため、自ら連続担任を志願して、人事の流れを断ち切る方法をとったのである。

という訳で、2期連続学年の後、進路指導部に配属となったが、人事の巡り合わせで、30代にして、進路指導主任を仰せつかることになった。いずれはやってみたかったポストではあったが、こんなに早く回ってくるとは予想だにしていなかった。

30代という若さ故、肩身の狭い思いもした。なぜなら、外部で行われる進路指導主任の集まる会合は、皆、私より年配の教員ばかり〈注1〉であったからだ。

また進路部内のメンバーも自分より年配者ばかりであったので、業務は一応、皆で分担する形をとったものの、結局は全部一人でこなすことが多かった。正直、部員を組織的に機能させるという点で、全く上手くいかなかった。でも、6、7人でこなす分掌業務だったら、誰も協力しなくても、一人でも乗り切れることが身を以て実証でき、変な意味で自信がついた。

ところで、この学校はまだ歴史の浅い中堅校であったが、子供たちの多くが大学進学を望んでいた。私は進路指導主任として、一人でも多くの生徒の希望進路を叶えてあげたいと、真剣に考えていた。その一環として、生徒の受験モードを高める目的で、某大手進学予備校から特別講師を招聘して、進学セミナーを企画したことがあった。

それはつまるところ、生徒に対する“喝”入れであった。その際、私が作った生徒向けのチラシには、こんな文言が踊っていた。「受験の神様○○氏、本校に降臨。現役合格を願う者、本日○時、大会議室に参集すべし!!」。

また、後輩たちへの刺激策として、大学合格者を校内掲示版に大きく張り出し、赤色の花をつけるなどし、受験生としての士気高揚を図っていった。

そんな中、10年に1度のサイクルで、運が良ければ東大合格者が出ると言われていた学校であったが、丁度、私が進路指導主任をしている時に、東大合格者が出て、『サンデー毎日』(週刊誌)の取材を受けることとなった。さらにその後、私が授業で直接教えた生徒が、京都大学や早稲田大学に現役で合格するなど、うれしいニュースが次々と舞い込んできた。まさに願ったり叶ったり。

私はこの学校で3年間、進路指導主任を務めた後、他校の進路指導主任に請われて? 異動することとなる。


〈注1〉 一般的に進路指導主任というものは、50代くらいの経験を積んだベテラン教員が務めることが多かった。一概には言えないが、私学などでは最古参の超ベテラン教員がつくポストでもある。