それを聞いた重太郎は、勃然と生まれつきによる不条理を思い知らされたのである。いや、生まれつきによる不条理は気づいていたのだが、それによるあからさまな侮蔑にあったのである。

父親の重郎左衛門は重太郎の鬱屈がわかった。感受性の強い年頃である重太郎は、自分では変えられないこの世の柵を、大部分は不条理なものと悩んでいるのだ。

この世に生まれるとき、選ぶことができないことはたくさんある。時代、場所、生まれた日などは一生ついてまわる。それをつき詰めていくと、どうしてこの家に生まれたのか、なぜこの親の子なのかと、不遜な思いに行きつくが、重太郎の鬱屈はその方向には進まなかった。

自分の望みでこの世に生まれたとは思わないが、二親に望まれて生まれてきたのは間違いがないからだった。そこに深い慈しみが感ぜられるからである。自分をずっと育ててくれて、自分の意識の形成に重要な影響を与えてくれている家族という絆を、感謝こそすれ、疎ましいなどということは及びもつかない。

次に選べないものとして時代や場所がある。それは世間というか、周りの環境、身分とか貧富とかということにつながる。そんな柵がたくさんあり、それは生まれつきに不公平があるということであるが、人はそういう不揃いな条件のもとで生きていかなければならない。

独り息子の重太郎は自分が武士の子として生まれたが、いつの頃からか、武家の社会には明確な序列があることを知った。その身分制度に疑問を持たない間は良かった。小さい頃は強くなりたいと夢中で稽古をしていたから、そんなことを気にも留めなかったのだ。

だが、成長するにつれ、道場のなかでもえこひいきがあり、その差別の原因は自分が下級武士の子であるからとわかったときは、お百姓や町人のほうがよっぽど自由じゃないかと憤りを感じた。その鬱屈を跳ね返すために重太郎ができることと言えば、誰よりも強くなることだった。それも藩で一番程度では満足などできない。

とすれば、やはり江戸だと、重郎左衛門に江戸に修業に出たいと願い出たのだ。十四歳のときである。